Goinkyodo

断片記憶

折々の歌

時を経て花の記憶はさらならで軒端の風に心騒がす大岡信の『折々のうた』が始まったのはいつだか忘れてしまった。wikiでも見れば載っているだろう。しかし、自分のwikiがあるわけでもないので、いつ出会ったのかは、正確には思い出せない。FBの載せ...
断片記憶

読書の後に感想戦はいかが

瀧本哲史氏は『読書は格闘技』(集英社、2016年)のあとがきにかえて「読書は感想戦」を書いている。感想戦とは将棋などの対局後に対局者が一局を振り返り、手の良し悪し、敗因や局面の優劣などを評価し合うことをいう。TVの感想戦は短いが見れば少しは...
旅の時間

かがり火コンサートは休催だった

御霊祭のかがり火コンサートを楽しみにしていたが、今年もできなかったようだ。案内が来なかったので予定してなかったが、土曜日に大阪に用ができたので、途中なので(笑)、上御霊神社へ寄ってみた。もう、イチハツも終わっていた。イチハツは4月末に咲く。...
断片記憶

研究不正と人工知能

黒木登志夫『研究不正 科学者の捏造、改竄、盗用』中公新書、2016年研究不正の古典的名著としてウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド、牧野賢治訳『背信の科学者たち』(講談社、2014年)があげられていた。原作は1983年で翻訳が1988年...
古都を旅する

本居宣長と伊藤若冲

『月刊京都2016年6月号』鎌田東二の霊性の京都学 81 「本居宣長と伊藤若冲」を読む。今年は伊藤若冲生誕300年ということで、どこもかしこも伊藤若冲である。去年は琳派だったような気がしたが、世の動きなど気にせずに「漫然」と読むのが最近の私...
視聴時間

『護王神社の四季』(2008)

『護王神社の四季』は平成10年に和気清麻呂公、広虫姫の没後1200年を記念して製作されたVTRを2008年に30分のDVDにしたもの。護王神社は高雄山神護寺に祀られていた和気清麻呂公の霊社を明治7年に護王神社と改称し、旧官幣大社とした。明治...
読書時間

『知的生産とその技術 Classic10選』(2015)

倉下忠憲『知的生産とその技術 Classic10選』倉下忠憲、Kindle版、2015年、151円LifehackingPodcastライフハックLiveshow #157 「Water on Mars」2015年10月5日を聴いていた時、...
古都を旅する

内宮

週刊新潮の「とっておき私の伊勢」Honz代表の成毛眞氏の1回目は「内宮」だった。まず内宮から攻めるか。御正殿での御垣内(みかきうち)参拝をして少しのぼせているような写真とみた。プラス1は「若柳」だった。老舗精肉店「豚捨」の食事処である。この...
断片記憶

『つくられた縄文時代』(2015)

山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』(新潮選書、2015年)本書を手に取ったのは、帯が重版になったときだったが、手に取った本の下に何故か初版があったので、初版を購入することにした。帯がベタな宣伝文になっていて、出版界の事情を...
読書時間

『平安の都』(1994)

角田文衞編『平安の都』朝日選書、1994年平安建都1200年を記念して、古代学協会は『平安時代史事典』と『平安京提要』を編集した。しかし、「内容が頗るアカデミックであり、主として研究者を対象として編纂されたため、平安文化や平安京を平易に理解...
断片記憶

「京都通」とは何か

「京都通」という言葉がいつから使われるようになったかは知らない。私にとって意味の分からない言葉の一つである。いわゆる京都人がコンテンポラリーな生活をしていれば、脳は当然、要らないことを省いてくれるので、挨拶も考えずにできるようになるし、微妙...
散歩時間

「1789」を帝劇で観る

「1789 バスティーユの恋人たち」を帝劇で観る。ミュージカルで観て、宝塚でもやるのである。小池鉄平と加藤和樹のwキャスト、神田沙也加と夢咲ネネのwキャスト、花總マリと凰稀かなめのwキャストである。私達が観たのは、加藤和樹、神田沙也加、凰稀...
断片記憶

『京都の極み』(2016)

船越英一郎『京都の極み』(マガジンハウス、2016年)BS日テレの「船越英一郎 京都の極み」(2015年10月11日から)をたまに見ることがある。本書は番組連動本である。テレビ番組のよいところは普段入れない奥にカメラが向けられることである。...
読書時間

『精神と世間と虚偽』(2016)

山本七平『精神と世間と虚偽 混迷の時代に知っておきたい本』(さくら舎、2016年)『諸君!』に「山本七平の私の本棚から」(1982年6月〜1982年8月)として連載したものを再構成した。帯には初の単行本化!とあったので、買い求めた。山本七平...
読書時間

『世阿弥の稽古哲学』(2009)を読む

世阿弥の稽古とは何か1.「稽古」とは何か。小西甚一は風姿花伝の「稽古」について、「原義は、「昔を考える」こと。先人の教えに基づいて研究し学修する意に用いる。練習もその一部分であるが、中心は研究である。多くは「研修」と訳すことにした」(『世阿...