「京都通」とは何か

断片記憶

「京都通」という言葉がいつから使われるようになったかは知らない。私にとって意味の分からない言葉の一つである。いわゆる京都人がコンテンポラリーな生活をしていれば、脳は当然、要らないことを省いてくれるので、挨拶も考えずにできるようになるし、微妙なニュアンスも受け止められるのは自然な働きによる。

京都に関する知識の断片をいくら集めても「京都という思考システム」を持った人間にはならないので、「京都通」とは京都の外部にいて、「今井むつみ氏のいう「知識のドネルケバブ・モデル」にとどまるかもしれない(『学びとは何かーー〈探求人〉になるために』(岩波新書、2016年))。「京都通」というと京都の外部者のなかに京都が好きな人がいて、京都に関する些細な知識の断片をペタペタ貼り付けた人を思い浮かべてしまうのは私だけだろうか。京都検定などは「京都通」をつくる企画だろうが、連動する体験企画がなければ、ただのクイズ番組よりしまつが悪い。京都の味わい方を画一化して欲しくはない。

だいたい、京都の人は、お金を払ってまで神社仏閣を観に行くという気持ちにならない人が多い。私が会う人が限られている(職業的にも)ので、一般化はできないが、私の知合いで私以上に回っている人は朧谷壽先生くらいだった。

ちょっとまとまった人数で宴会をしょうとすると、私にまで店を聞いてくるくらいなので、狭い範囲で生活していることが分かる。観光客のように京都のガイドブックなど買うことはないので、いつもいく店しか知らない。

芸妓さん、舞妓さんをお茶屋さんに呼んでもらって遊ぶことは、お茶屋を通して見える世界があることを知ることになる。

そうした会に参加しているうちに気がつけば京の年中行事になる。

狭い町で生きてきた人々も、町中に子供がいなくなり、学校が廃校になって、いずれ、京都人なども存在しなくなったとしても、「京都通」は残るモデルなのだろうか。

京の年中行事の例

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