南直哉『『正法眼蔵』を読む』(講談社選書メチエ、2008年)
読むということに関して、著者は次のように言っている。
「「内容」は読者の頭の中、その読みという行為の中に生成される。そこにしかない」。
当たり前のことだが、しばらく、「読むこと」を考えることになるだろう。
谷沢永一氏は読書を(自分の内に起きる)事件だと言った。
読み始めると頭の中で思考が駆け巡り始めた。そして読むことに集中できずに書棚に本を戻すことになる。
なかなか読み通せない本である。
南直哉『『正法眼蔵』を読む』(講談社選書メチエ、2008年)
読むということに関して、著者は次のように言っている。
「「内容」は読者の頭の中、その読みという行為の中に生成される。そこにしかない」。
当たり前のことだが、しばらく、「読むこと」を考えることになるだろう。
谷沢永一氏は読書を(自分の内に起きる)事件だと言った。
読み始めると頭の中で思考が駆け巡り始めた。そして読むことに集中できずに書棚に本を戻すことになる。
なかなか読み通せない本である。
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