『つくられた縄文時代』(2015)

断片記憶

山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』(新潮選書、2015年)

本書を手に取ったのは、帯が重版になったときだったが、手に取った本の下に何故か初版があったので、初版を購入することにした。帯がベタな宣伝文になっていて、出版界の事情を知るものは手にしないと思われると山本七平なら書いたかもしれない。しかし、初版のミスは重版では直らず、3版くらいから修正されるはずという思い込みもあって、帯のために初版をあえて購入した。

本は著者と編集者の共同製作である。せっかくのテーマであるのに、過激なタイトルや帯は新潮社が広告用につくるので、読者のなかには本書の内容とのギャップに戸惑う人もでる始末だ。まさに「つくられた縄文時代本」だw

言説が誰によってどのように語られてきたのかは重要である。「縄文時代がどのように理解されてきたのかを、考古学の黎明期である明治の頃から検討し、それが第二次大戦後、「新しい日本の歴史」を創る上で、弥生時代とともに必要とされた時代区分であり、縄文時代という歴史的枠組みそのものが、実は非常にあやふやな側面をもったものである」とはじめに書いてある。我々はこれは縄文時代、あれは弥生時代という「先入観」で遺跡をみることをしていないか。誤ったスキーマは克服されなければならないということは最近学んだばかりだ(注)。

先史時代を扱った本は眉唾で読みたい。

(注)

今井むつみ『学びとは何かーー〈探求人〉になるために』(岩波新書、2016年)

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