行き付けだった小料理屋や喫茶店が閉まってみると、自分を形成していた何かが失われたような気がする。日常が慣れの問題だとすると、何かでそれを埋める必要があるのだろうか、それとも外面というのは自然と形成されていくものなのだろうか。居心地というのは内面的なものだろう。居心地のよさというものはことばにならない。すると押上文庫で燗酒を注ぐ時間はかけがえのないものであって他に代わりようもない。Le Petit Parisienで古書に囲まれてコーヒーを飲んでいる時間もかけがえのない日常ということができる。
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押上文庫にて三谷春で頼山陽の話になる。
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