断片記憶

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子安宣邦先生の最終講義

子安宣邦先生の思想史講座の最終講義を聴きに早稲田奉仕園・リバティーホールに行きました。白川静先生の最終講義を聴きに京都まで行ったのを思い出します。旅の始まりはそこにありました。2012年10月から子安宣邦先生の飯田橋のrengoDMSでの「...
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『特別てい談』を読む

『特別てい談 東洋哲学とは何か』斎藤慶典、安藤礼二、山崎達也、2021年7月31日猛暑の街を喫茶店を求めて歩き、課題図書を読んで昼寝をする。「てい談」は色々刺激を与えてれる。プロティノスについて、日下部吉信著『ギリシア哲学30講 人類の原初...
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自分にとって気持ちの良いやり方

英文法をお浚いして、あやふやになっていたところをチェックすることで少しは迷う時間が減ったかもしれない。効果をすぐに求めても仕方がないので、引く続き単語の強化をすることで少しでも快適に読めたらよいと思う。もう勉強はいやなので、自分にとって気持...
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詰将棋を楽しむ

『将棋世界』平成24年5月号付録の「伊藤果に挑戦!」が片付けしていたら出てきたので少し遊ぶ。5手詰、7手詰、9手詰が20問づつで、結構できなくてやになる。5手詰で3問も間違う。詰め手数を知っていることで、直観が働くため9手詰が解きやすい。あ...
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八朔に想う

八月一日(八朔)に祇園町の芸舞妓さんが、井上八千代さんお師匠さんやお茶屋さんへ絽の黒紋付を着て挨拶する習わしがある。呂は涼しげであるが、京都の茹だるような暑さでは気を引き締める以外に対処する術はない。夏の京都の記憶がだいぶ薄れてきた。八朔の...
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祭りの後

隅田川花火大会が終わると、何も目標がなくなる。孤独に向き合っていくしかない。日々のことを続けるだけである。喜びも悲しみも生の営みに過ぎない。考えは止むことがない。休み休み片付けしながらもこうして書き出そうとしているのである。
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花火の夕べ

4年振りとなる隅田川花火大会である。
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梅雨明け

2023年は7月22日に関東地方の梅雨が明けた。北陸、中部地方に遅れたことは珍しい。これは梅雨前線が日本列島の南に下がっているためである。通常は前線が上がって梅雨明けになるパターンである。蝉はすでに鳴いているので、気象庁の判断が慎重にされた...
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夕暮れ時

昼の暑さにぐったりしても、陽が西に傾き、風が出てくれば、少し涼しさを感じて、また、飲みたくなるというものだ。こんな小橋の上から東京スカイツリーが見えた。こちら側にくることはないのだが、気晴らしとはそういうものかも知れない。風吹けば 川面に映...
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暑さに強いとは

猛暑で厳しいと思っていたら、他は豪雨か酷暑に近い。最近はコンクリートジャングルとは言わなくなったが、東京湾の風を遮るビルのために温度が下がりにくいのが都会の暮らしである。もうなくなってしまった実家近くの林から聞こえてくるヒグラシの鳴き声は涼...
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常盤新平先生

大学で採った講座の講師が常盤新平先生であった。講義が終わると、何人かで先生を囲んでお茶した記憶がある。だから、勧められるままにHemingwayを読んだ。倉林秀男、河田英介『ヘミングウェイで学ぶ英文法』(アスク出版、2019年)を読んで、当...
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奥井潔の本をパラパラする

奥井潔『〈新装版〉英文読解のナビゲーター』研究社、1997年、2021年新装版暑くて目が覚めてしまったので、枕元の本をパラパラしてみた。片付け中なので本だらけのため、地震が来れば本のために死ぬかもしれない。直下型であれば、段ボールは飛ぶし、...
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本を読むことがわからなくなる

もう、いつのことだか覚えていないが、朝にトーストを食べながら、本を読んでいる時間が堪らなく嬉しい時があった。辻邦生の『パリの手記Ⅰ 海そして変容』(河出書房新社、1973年)を読んでいた時であろうか、浪人生なのにそんな時間があったのだろうか...
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続けるということ

仕事は続けている。職業人としては変わっていないが、内実は異なっている。手を動かすよりレポートを読む時間が長くなった。セキュリティには興味がなくなってきたのが分かる。扱っているDatapointが大きい企業でないと面白いことがないのだろう。仕...
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続いていることしか続かない

何事も続けられないという性根なので、気がつくと忘れている。もうこの年齢になるとどうせすぐに飽きるからということで新しいことにあまり飛びつくことがなくなった。A Decade Aheadに常態となるようなスキルをリスキリンクで習得するというこ...