『『教行信証』を読む』(2010)を読み直し始める(その3)

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ら山折哲雄『『教行信証』を読む 親鸞の世界へ』岩波文庫、2010年

第3章 難問に苦悩する親鸞 ー「信」Ⅰー

ここに至ってテキスト批判が行われる。親鸞真蹟本の発見が述べられる。「坂東本」は「親鸞自身の手に成る草稿本とされるようになった」(p.98)。

「とりわけ『教行信証』の研究にとって画期的な契機となったのが、昭和29年(1954)におこなわれた坂東本『教行信証』の解装修理であり、その任にあたったのが当時の京都大学文学部教授だった赤松俊秀氏である(同氏著『親鸞』、吉川弘文館、1961年、191頁)」(同上)。

やはり、『教行信証』が手元にないと話にならない。段ボール箱のどこかにあるのは確かなので、買ってくるわけにもいくまい。図書館で借りてくることにしょう。

山折哲雄氏は「漢文体のカタカナ交じりの坂東本」と「和文交じりの延べ書き本(金子大栄校訂本(岩波文庫版)を適宜使い分けているのも気になる(p.102)。

さて、山折哲雄氏は、「信」巻にも序がついていることを問題視する。「顯浄土眞實信文類序」である。「信」が3卷で扱われる。

総序と呼ぶべき『教行信証』の巻頭にある序は「顯浄土眞實教行證文類序」であった。「教行證」が扱われる。

これで「教行信証」が揃ったことになるが、山折哲雄氏はそのようにはみていない。「その総序にたいして、ここに新たにつけ加えられた「信」巻の序は、どのような意味をもつのか。親鸞がどのような意味をそれにもたせようとしたのか、という問題である」(pp.87-88)。

「教」巻において「教は大無量寿経である」と宣言している(p.66)。

この「大無量寿経」第18願は「浄土に往生するには、ただ念仏を称えるだけでよい、とする誓願である」(pp93-94)。「万人成仏思想」であるが、第18誓願には除外規定があり、「五逆と誹謗正法」は除かれる。父王殺しの悪人アジャセは五逆の罪で救われないことになる。

坂東本『教行信証』の解装修理は、『教行信証』の成立過程のヒントを与えたという。『大般涅槃経』からの膨大な引用が追加されているという。『大無量寿経』と『大般涅槃経』の関係はどうなっているのだろうか?

『大無量寿経』は「五逆と誹謗正法」は除かれ、『観無量寿経』は「誹謗正法」は除かれ、『大般涅槃経』は「五逆と誹謗正法」も全知識により救済される。この三つの経典の矛盾をどう解決するのか?

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