『白』(2008)

読書時間

原研哉『白』中央公論新社、2008年

著者自装の本は表紙も白だし、ジャケットも白に黒い文字のモノトーンの世界である。

4章からなる。

第一章 白の発見

第二章 紙

第三章 空白 エンプティネス

第四章 白へ

そして、英訳されている。英語の方が伝わる。

Capter 1 The Discovery of White

Capter 2 Paper

Capter 3 Emptiness

Capter 4 Back to White

写真は

石元泰博「泰山木」写真集『花』より

上田義彦「勾当」初代長次郎作 黒楽茶碗

長谷川等伯筆「松林図」

上田義彦 慈照寺東求堂石庭

まえがきで原研哉氏は意外な言葉から始める。

「白について語ることは色彩について語ることではない。それは自分たちの文化の中にあるはずの感覚の資源を探り当てていく試みである。つまり、簡潔さや繊細さを生み出す美意識の原点を、白という概念の周辺に探ってみたのである」(Pi)。

第一章

白は感受性である

「白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ」(P2)。

色とは何か。原研哉氏は近代物理学の成果をもって説明するだけでは足りない色への感受性を云う。

色とは何か

「色彩のメカニズムは明快なシステムとして整理されている。マンセルやオストワルドの表色系と呼ばれる色の体系がそれである。明度、彩度、色相、つまり明るさや鮮やかさの度合い、そして円環をなすスペクトルによって、三次元の立体として表現された色の体系は、物理現象としての色の構造を分かりやすく理解に導いてくれる」(P3)。

しかし、色は単に視覚的なものだけでなく、例えば、「割った卵からこぼれる濃い黄味のつややかさ、湯呑みに満ちるお茶の色合いは、単に色彩だけではなく物質性をともなった質感であり、味やにおいととの関係も深い。そういうものを複合して人は色を感じている」(P3)。だから、「全感覚的なものである」(P3)。

原研哉氏は「白」を日本の伝統色から考える。

「古代、万葉の時代には、色の形容はずっと少なかったと言われている。日本語の色の形容は、赤い/黒い/白い/青い/という、下に「い」が付いて形容詞となる四つであったそうだ」(P5)。

日本の伝統色における白は、古代に生まれた四つの色の形容語のひとつ「しろし」に由来する」(P7)。

いとしろし

「しろしとは「いとしろし=いちじるし」であり、顕在性を表現している」(P7)。

「純度の高いひかり、水の雫にたたえられる清澄さのようなもの、あるいは、勢いよく落ちる滝のような鮮烈な輝きを持つものなど、いちじるしきものの様相は、変転する世界の中にくっきりと浮かび上がる。そういうものに意識の焦点を合わせ、感覚の琴線を震わせる心象が「しろし」である。それを言葉で捕まえ、長い歴史の中でひとつの美意識として立ち上がってきた概念が「白」である」(P7)。

色をのがれる

原研哉氏は「白は「色の不在」を表現している点でひときわ特殊な色である」(P8)と云う。

「ことが起こる前の、潜在の領域にあるものの状態を昔の日本人は「機前(きぜん)」と呼んだそうだ。白は発色の未然形であり、言わば機前の色である」(P8)。

「光の色を全て混ぜ合わせると白になり、絵の具やインキの色を全て引いていくと白になる。白はあらゆる色の総合であると同時に無色である。色をのがれた色である点で特別な色である」(P8)。

「白は色であることにとどまらない。色をのがれた分だけより強く物質性を喚起する質感であり、間や余白のような時間性や空間性をはらむものであり、不在やゼロ度のような抽象的な概念をも含んでいる」(P8)。

だから、原研哉氏は「白は単なる色ではなく、むしろ「意匠」あるいは表現の「コンセプト」として機能しているのではないか」(P9)と問うのである。

情報と生命の原像

原研哉氏はエントロピーという概念を持ち出してきた。

「熱力学の第二法則とは、あらゆるエネルギーは平均化されていく方向で保存されるという物理法則である」(P10)。

「エントロピーの増加とは、特異性を減じて平均の果てへと帰趨することを意味している。全ての色が混じり合ってグレーになるようにエントロピーが増大する果てには巨大なエネルギーの混沌世界がある。(省略)エントロピーを減じながら突出してくるものこそ「生」であり「情報」ではないか。エントロピーの引力圏をふりきって飛翔することが生命である。混沌の無意味から屹立してくるものが意味であり情報である。その視点においては生命は情報と同義である」(P 11)。

壮大な宇宙論を読むようだ。

「白は、混沌の中から発生する生命あるいは情報の原像である。白はあらゆる混沌から潔癖にのがれきろうとする負のエントロピーの極みである。生命は色として輝くが、白は色をものがれて純粋に混沌の対極に達しようとする志向そのものである」(P11)。

「白は現実の世界では実現されるものではない。(省略)現実世界の白は必ず汚れている」(P 11)。

白は意識の中でしかないのだろうか。

最後に、白川静博士によると、「白」という漢字は頭蓋骨の象形文字であるという。

『白』(2008)その2へ続く

<関連>

原研哉『白百』(2018)

 

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