『仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>』(1969)その6

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桜部建・上山春平『仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>』角川書店、1969年、1978年第10版

やはり、人間には休みが必要です。超高速で『ブッダ最後の旅』(岩波文庫、1980)を読み直したりするには絶対的な時間が足りません。

第三章 ダルマの体系Ⅰ(続き)

「ダルマ」について普通は「法」と訳されます。仏・法・僧といいますね。重要な用例として「存在」を意味する場合が紹介されます。「諸法無我」などです。そして、説一切有部哲学の「ダルマ」の考え方が説かれます。

「そこではダルマとはもはや単なるもの、存在、それ自体ではなくて、寄り集まって存在を構成するところの「存在の要素」とでもいうべきものとして考えられている」(P45)。

「経験的世界の中にあるすべての、存在、事物、現象は、複雑な因果関係による無数のダルマの離合集散によって流動的に構成されている、というのが「ダルマの理論」の基本的な考え方である」(P45-46)。

ダルマの種類は七十五あるといっています。

アーガマの説き方

ここでアーガマ経典の中の無常・苦・無我の教えに立ち戻ります。アーガマ(教えの伝承)とは『阿含』とか『阿含経』と訳され、ブッダ生前の教説を弟子たちがまとめて、伝承したものを指します。

アーガマでは「五蘊(ごうん)」、「十二処」、「十八界」を用いて無常・苦・無我の教えを説きます。五種類、十二種類、十八種類を覚えても仕方がないので、ここには書きませんが、要するに「あらゆるものが無常であり、あらゆるものが苦であり、あらゆるものが無我であるという以外にはない」(P47)ということです。

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