穂積陳重著、穂積重行校訂『忌み名の研究』講談社学術文庫、1992年
穂積家三代
穂積陳重(ほづみのぶしげ)は法学者であり、子の穂積重遠も同様に法学者であり、穂積重遠の『新訳論語』(講談社学術文庫、1981年)は谷沢永一先生のお勧めによって入手した。ご丁寧にも『新訳孟子』(講談社学術文庫、1980年)も買ってしまった。谷沢永一先生は人に本を勧めないといいつつ推薦文を連発したのだった。本書の校訂は著者の孫である近代イギリス史専攻の穂積重行が行なったが、穂積重行は穂積陳重(祖父)を彼と客観的に呼んでいるところが面白い。祖父と父についての本を書いているのである。いずれも歴史上の人物と言ってよい。
書誌情報
初版は「帝国学士院第一部論文集 邦文第二号」として「諱に関する疑』(帝國學士院、1919年)。
一部改訂した再刊は『実名敬避俗研究』(刀江書院、1926年)。
そして『忌み名の研究』(講談社学術文庫、1992年)となるが、原典の「序」および「跋」は割愛された。
「実名敬避俗」は穂積陳重の造語であり、学術用語として一般的ではないとして穂積重行は題名に採用しなかった。しかし、この本を思い出したのは野村朋弘氏が『諡 天皇の呼び名』(中央公論新社、2019年)のなかで「実名を尊び、呼ぶことを避ける習俗は、日本や中国といった東アジアのみならず、世界で行われていることが穂積陳重(1855〜1926)の『忌み名の研究』(原題は『実名敬避俗研究』)によって明らかにされている。こうした習俗を「実名敬避俗」という」(P29-30)とあるのを読んだからであった。なお、野村朋弘氏は参考文献では初出を再刊の1926年としている。
もっとも、穂積重行が『実名敬避俗研究』の文語体を現代語訳にして『忌み名の研究』としたと書いているので(P16)、本書は口語体で読みやすいのであるが、そうなると「校訂」というよりは「現代語訳」ではないかという疑問がわいてくる。
書誌情報に関するコメントが長くなったようだ。
結論が分かると読書意欲が減退することもある。ネタバレはよくないというわけだ。
「忌み名は本邦固有の習俗にあらず」という先人である本居宣長の説に対し、穂積陳重が「実名敬避の習俗はすなわち「タブー」の一種であって、人類の普遍的習俗ということができ」(P27)るとした。この論証が本書の概要である。
本書の構成は穂積重行のまえがきに続き、以下の章立てになっている。
第一章 諱に関する疑い
第二章 消極観
第三章 積極観
第四章 比較観
第五章 概括観
第一章と第五章を読んで詳細な論証を読むのは省略する。そのうち読みたいという気持ちが湧いてくるかもしれない。
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