『歴史学はこう考える』(2024)

読書時間

松沢裕作『歴史学はこう考える』ちくま新書、2024年

歴史家は何をしているのか。

歴史家といわれる人達が、「歴史家が実際にやっていることは、歴史家以外の人びとにはそれほど知られていないのではないかと思っています。さらに正直に言うと、実は歴史家たち自身も自分たちのやっていることをあまりうまく説明できていないのではないかと思っています」(p.12)と言われると、自分たちも説明できないのは同じだと思わざるを得ない。

史料を読むとは

第二章 史料はどのように読めているのか

著者の論文「逓信省における女性の雇員と判任官」などを採り上げて史料の引用と敷衍という史料批判を具体的に行っているのを読むと、少しは歴史家の頭の働かせ方がわかって楽しくなる。

「歴史学の論文では、論旨の展開上、重要な根拠となる史料については、原文に近い形でそのまま引用して読者に提示することが一般的です。そして、それに続く論文の書き手の敷衍というのは、引用史料には何が書かれており、書き手が、そこから何を読み取り、理解してかを、説明する部分です」(p.63)。

史料を読むこと知識があればとりあえずできるとして、文法解説書として佐藤孝之ほか『近代史を学ぶための古文書「候文」入門』(吉川弘文館、2023年)が挙げられていた。しかし、実際の解説でみてきたのは、留保しながらも事実を確認すると言う点であり、歴史家がしてきたよう正しく頭を働かせることは容易ではなさそうである。

去年読んだ佐藤雄基氏の『御成敗式目』(中公新書、2023年)も採り上げられていて、読み直したくなった。

論文はどう組み立てられているのか

第三章、第四章および第五章は論文の組み立て方について論じている。第三章では中央政府の政治家たちの行動に注目するタイプの研究(政治史の一つ)として高橋秀直「征韓論政変の政治過程」(『社会科学討究』41-3、1996年)、第四章では産業のあり方の変化に注目するタイプの研究(経済史の一つ)として石井寛治「座繰製糸業の発展過程ーー日本産業革命の一断面」(社会経済学史学』28-6、1963年)、第五章では著名ではない人びとの集団的な行動に注目するタイプの研究(社会史の一つ)として鶴巻孝雄「民衆運動の社会的願望ーー民衆運動史試論」(近代化と伝統的民衆世界ーー転換期の民衆運動とその思想』(東京大学出版会、1992年)が取り上げられていた。

五島美術館で「一生に一度は観たい古写経」を観た時、読めない漢字があって、帰ってから調べてようと思ってそのままになっていた。字体についての本も読みかけであることに気がついた。花火で読書は断絶していたのである。Mapを更新しながら史料の扱い方を本書で確認するのも点と点を繋げる目的である。

歴史学はこう考える

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