『職業としての学問』(1980)

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マックス・ウェーバー、尾高邦雄訳『職業としての学問』岩波文庫、1936年、2006年、第86刷

外面的事情を淡々と話すマックス・ウェーバーを読んでいると、いまでも、職業としての大学教員の置かれた立場はそう変わらないのではないかと思う。

また、学問を職業とする者の心構えとして、専門分野である仕事(ザツヘ)への献身が説かれることも、学際分野の扱いを別にして意義はない。

本書は、1980年に改訳されたものだから、もとより昔読んだ文書ではない。付箋を貼ったところをメモして、付箋を剥がそうと思う。尾高邦雄が「あとがき」に書いたことに私は付箋付けていた。

「ウェーバーの表現様式はけっして明快でも率直でもない。むしろ不必要なほど入りくんでおり、強調が多く、比喩が多く、くり返しが多い。これは話し手が非常に感情の強い人であることを物語るものであろう。あるいは、この講演のおこなわれた当時の異常事態のもとで感情的になっている青年たちに聴かせるためには、こうした話し方が必要であったのかもしれない」(P83)。

『職業としての学問』ではなく、表現方法の異様さを感じたのだった。

本書は教師は指導者たるべきではないという主張が延々と続くのである。学問と政策の区別が強調されたが、今日においても教室において当派性や政策問題を扱うことの危険性が問われる時、ウェーバーのこの講演が思い出されるのである。

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