『中国の歴史9 海と帝国 明清時代』

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上田信『中国の歴史9 海と帝国 明清時代』講談社学術文庫、2021年、kindle版
本書のスタンスを上田信氏が「はじめに 大海に囲まれた二つ帝国」に書いていた。海の女神である媽祖(まそ)についての話のあとになる。
「現在の歴史学には、大局的に見て二つの潮流がある。ひとつは、フェルナン゠ブローデルの地中海の研究に起点をもつ「海の歴史」である。これまで陸で生起した王朝や国家の歴史を軸にして論じられていた歴史学に、異なる視点があることを教え、「海を人の活動を阻むものとしてではなく、人の活躍の舞台でもあったことを示してくれた。「海の歴史」は、東南アジア史でいち早く受け入れられ、日本史においても東シナ海や日本海などをめぐる海域世界の研究が展開されている。 もうひとつの潮流は、イマニュエル゠ウォーラーステインの「近代世界システム」論である。ウォーラーステインはブローデルの影響を受けつつ、二〇世紀なかばまで主流であった唯物史観や近代化論を乗り越えようとした」(「海の歴史」)。
「海の歴史」と「近代世界システム」論を使って明・清の500年を描くのは現代歴史学の潮流なのだろう。加えて小説を読むことでこの時代のディテールを読みこもうとするのが、陳舜臣の『阿片戦争』を読む私の意図である。イギリスの東インド会社の交易特権の期限の切れる2年前から始まる物語は近代世界システムのなかで読まれる必要がある。
上田信氏は中国の歴史を交易のメカニズムから説明する。
「中国の王朝の歴史を古代からたどってくると、それは交易をめぐるメカニズムの変遷の過程であることが明らかとなる。広範な地域からさまざまな物産を集め、それを支配下の各所に再分配しなければ、王朝は維持できない。すなわち王朝は、貢納と集中─再分配の交易メカニズムの上に成立する支配体制であった」(「中華文明の拡大過程」)。
王朝交代のサイクルとは何か。
「中国の歴史をこのようなサイクルとして考えると、そのサイクルは次のようなステップに分けることができる。一つの交易メカニズムが安定しているステップを「合」、しだいにゆらぎはじめ、メカニズムにほころびが目立つようになったステップを「散」、新しいメカニズムの可能性がいくつか生まれ、それぞれのメカニズムの担い手が反目しあい、抗争が展開されるステップを「離」、そして、最後に生き残った一つのプランが残りの全体を統合するステップを「集」と呼ぶ。四字熟語の「離合集散」を組み替えたものに過ぎず、拙著『森と緑の中国史』(岩波書店、一九九九年)で初めて提唱した考え方であるが、その後にこのパターンで中国史を読み替えてみると、多くの事象を説明できることが明らかとなった」(「中華文明の拡大過程」)。
四字熟語の「離合集散」を「合散離集」に組み替えた説明はなかなか面白い。なにやら法則性を感じる。安定が失われ新たなブロック経済が始まった中で、我々はいかに生きていくのか。

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