『内藤湖南への旅』(2011)

読書時間

粕谷一希『内藤湖南への旅』藤原書店、2011年

「湖南の墓は京都の法然院にある」(P70)と粕谷一希(かすや・かずき)が書いていた。内藤湖南は京都帝国大学(現 京都大学)を退官後、京都府相楽郡瓶原村(みかのはらむら)に隠棲したのは、どこかで読んだことがある。法然院に眠っていたのは知らなかった。幾度となく法然院には訪れていたが、谷崎潤一郎の墓を見に行くだけの酔狂があるなら、受付で地図をもらって墓地を歩いてみたら気がついたであろうに、御朱印をもらっただけだった。

粕谷一希は秋田県を車で巡り、まず湖南の生まれた十和田湖畔の毛馬内へ行く。次に晩年を過ごした京都府瓶原村(現 木津川市加茂町口畑)へ恭仁山荘(現 関西大学セミナーハウス、元の母屋はないが、貝塚茂樹文・小川環樹書の記念碑がある。)を訪ねる。そして、湖南の眠る鹿ヶ谷の法然院に墓参りしてから、また、湖南の郷里である秋田へ行く。

瓶原はどこかで聞いた名前であると思ったら、百人一首であった。藤原兼輔の歌である。

みかの原 わきて流るる いづみがわ

いつみきとてか こひしかるらむ

この歌枕の地、瓶原に内藤湖南は晩年を読書三昧で過ごしたという。

#エッセイ #粕谷一希

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