奈良の遊び場の記憶

断片記憶

田中一光『田中一光自伝 われらデザインの時代』白水社、2004年

自分の人生を語ることは幸せなことだ。

1930年奈良市に生まれた田中一光の遊び場は興福寺の三重塔や北円堂で囲いはまだなかったという。このデザイナーは終戦の翌年京都の美術学校の図案科に入るが、当時はまだデザインという言葉がなかった。

しかし、戦後の記念碑的行事にほとんど携わっている。東京オリンピック、大阪万博、沖縄海洋博、筑波科学博にデザインを提供し続けた。デザイナーの時代だった。

奈良の町が観光地化する前の話だ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました