『南都石佛巡禮』(1929)

読書時間

西村貞『南都石佛巡禮』太平洋書房、1929年

昭和4年の『南都石佛巡禮』を読むと、踏まえるべき資料を元に書いていることが分かる。例言には「奈良縣史蹟調査會報告書、奈良縣金石年表、及び各府縣諸郡誌」などがあげられていた。その他三浦梅園や本居宣長の旅日記なども引用されている。ガイドブックとしては図版も76を数え、何より昭和元年からの逆算年表付きである。著者は南都を広義に用いて、奈良県に隣接する京都府下、大阪府下の一部の石仏を取り上げていた。京都府相楽郡(現在の木津市)の浄瑠璃寺近辺の当尾の石仏などを外すことはできない。たしかに布教の拡がりを考えれば行政区分を当てはめて考えるのは可笑しな話であって、奈良県に隣接する部分も含めてよいと思う。般若寺の十三重石塔石仏と大野寺磨崖弥勒石像の石工が宋人に関係があることなどは以前読んだことを「狛犬が気になる」で書いた。

私は、本などに書いてあったことをメモしているだけで、裏付けを必ずしも取っているわけではない。だいたい読書人は無防備なので、書かれたものを素直に受け止めるものだ。そういうものかと思ってしまうことが多い。それでもってSNSなどに気楽に書くことをする。谷沢永一が言うように、何でも鵜呑みにしてはならないと反対側に重しを用意しておく必要がある。

大正時代に和辻哲郎が『古寺巡礼』(1919年)で先鞭をつけた「巡拝本」は仏教美術に光を当てた。その後に幾らか書籍が出たのだろうが、時の風化に残ったのは、亀井勝一郎の『大和古寺風物詩』(1943年)、堀辰雄の『大和路・信濃路』(1943年)くらいしか思い浮かばない。私は堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」が好きで早春の時季になると読み返したくなる。当尾を歩いたあとで、浅草の古書店でこの本を見つけてから、再訪する機会がないのが残念だが、本は慰めでもある。金銅佛や木彫佛に比べて低く見られがちな石像佛を見に奈良へ足を向けて見たくなる。

注)三浦梅園『東遊草』

本居宣長『菅笠日記』

『大和名所圖會』から「秋寒しおしあふ石の佛達」(蝶酔)が引用されていたのが、著者の想いを語っているようである。

本書は国立国会図書館のデジタルコレクションとなっているが、著作権確認中などでインターネットでは公開されていない(2018年2月5日現在)。

西村貞は『奈良の石佛』(全国書房、1943年)を出しているので、読んでみたいリストに入れてある。

それにしても1943年という太平洋戦争下のこれらの本が出る契機が何かあったのだろう。

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