『日本の中世国家』(2020)その2

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佐藤進一『日本の中世国家』岩波文庫、2020年

序章は律令国家の復習であったが、律令官制について、業務フローからの説明があり分かりやすかった。律令制下の執務慣行における太政官内議政官会議と天皇との対抗関係が述べられていた。

「議政官官会議とは(省略)太政大臣(ただし非常置)・左右大臣・大中納言,参議(十世紀末に内大臣が加わる)を構成員とする合議体である」(P23)。

「議政官会議は律令制下の最上層貴族団たる公卿の意思集約機関として機能しえた存在であって、律令政治における天皇と議政官会議との対抗関係とは、天皇と最上層貴族団(公卿)との対抗関係に他ならぬ。律令制のもつ貴族制的性格が強調される所以である」(P23)。

第一章 王朝国家

王朝国家の成立の過程が説明される。

「九世紀に入ると、律令的支配体制の維持が困難となり、これに代る新しい支配方式が徐々に発生し展開して、その結果、ほぼ十世紀初頭あたりを最初の転換点として、律令国家は徐々に新しい国家体制に移行する。この新しい体制の国家を王朝国家とよんでいる」(P25)。

「延暦以降の九世紀における勅旨田の増大は、奈良朝以来の権門社寺による私的大土地所有制の展開に対抗して行われた皇室領の急激な増設に他ならぬのであるが、それは律令制地方支配をいっそう危険な状態に陥れることとなる」(P25)。

「そこで十世紀に入って延喜の荘園整理令(902年)を界として、政府は地方支配を太政官すなわち中央政府の直接統制こら、国司への委託に切りかえることによって、この危機を回避しようとする」(P25-26)。

「地方支配は、中央政府(太政官)の直接掌握から国司への大幅委任へ、さらに郡司・郷司の請負方式へと変化する。そしてその中で、公領は確実に減少の一途を辿り、天皇家の私領を含めて、権門の私領荘園が増大していくのである」(P27)。

令外の官で蔵人所と検非違使が扱われる。

「蔵人所は(省略)天皇の秘書局として機能しつつ、他面、既存・新設の内廷経済関係部局を統合したばかりでなく、国衙ーー太政官のルートを排除して、内廷諸部局が直接地方の貢納組織を握りうるような体制を創り出した」(P32)。

「律令制官庁機構を実質的に編成替えして、自己完結的な官庁を創り出す運動、これこそ九〜十一世紀に及ぶ律令国家変革の歴史の主軸であったと私は考える」(P32)。

一方、検非違使庁は「弾正台と同等の糾弾(捜索・逮捕)権を与えられたわけだが、やがて非違の糾弾にとどまらず「追禁推拷」すなやち犯罪人の捜索逮捕、拘禁、推問拷訊(ごうじん)をも併せ行う強力な官職に発展した」(P33-34)。

検非違使が必要とされる理由は桃崎有一郎氏の『「京都」の誕生』(文春新書、2020年)を読むとよく分かる。京の治安を守る役所として京職・弾正台・衛府があったが、「群盗という凶悪犯には対抗できない」(P13)ためであった。

官司請負制

「弁官局・外記庁・使庁などの中央主要官衙において、特定氏族による官司請負制の成立した十二世紀初中期を以て、王朝国家の成立期とするのが妥当ではあるまいか。そしてそれより半世紀前後おくれて、新興の領主層武士団を支配者とする政権が東国に誕生する。これが鎌倉幕府であって、中世国家の第二の型である」(P78)。

圧倒的な記述のため私の力では要約できないので引用しただけで終わってしまった。

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