小絵馬

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『季刊銀花第29号』文化出版局、1977年、特集1 小絵馬 特集2 紅花染

小絵馬を見ていくと、一言観音が出てきた。中世以来、神ばかりでなく仏にも絵馬があげられるようになった。

「奈良興福寺南円堂の横に、線香の煙の絶えることのない堂がある。世に一言観音と呼ぶ。一言、すなわち一言だけは必ず願いをかなえてくれるという。信心する者多く、かつてはたくさんの絵馬があげられ、各時代の世相をよく物語っていた。図柄の種類は多く、特に優れたものが多かったといわれる。一つだけと限られれば、やはり子供の成長に関する祈願が目立った。拝み、入浴図、どれも皆、丁寧に胡粉を施したうえに、朱、群青、黒で描かれた飄逸な絵は、民画のすばらしさを伝えて余すところがない」(P18)。

そして、鯰はナマズに蛸はタコに(P20)では、いわしの絵馬のほか鯰や蛸の絵馬が語呂合わせや洒落で奉納されていた。小絵馬が神馬の奉納に始まり、馬の絵となり、病気平癒の祈りとなっていったのは面白い。今でも、恋や受験の願掛けを絵馬の奉納として庶民は続けている。

注)鯰絵馬

C・アウエハント『鯰絵』(岩波文庫、2013年)では、鯰絵馬は守備範囲ではないとしている。

「鯰絵馬は、多くの場合(おそらくそのほとんどが)「ナマズ」とも呼ばれるレウコデルマ症とかヴィティリゴ症といった皮膚疾患の治癒を願って奉納されたもので、その理由は自明である。ある場合には、豊穣の神である稲荷とか(その際にはそのような絵馬は「鯰稲荷の鯰」と呼ばれる)、石神であり路傍の神である地蔵とかに関係づけられていることもあるようだ。こうしたことは断片的ながら興味深いものであり、たしかに鯰絵馬の機能と意味については本書とは別にさらに探求してみる価値がありそうである」(P158)。

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