冨士谷御杖の言霊論と「幽」の世界観

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鎌田東二「霊性の京都学89 冨士谷御杖の言霊論と「幽」の世界観」『月刊京都 2017年2月号』

顕の聖地と祭り/幽の聖地と祭り、あるいは青島と恐山、そして日向と出雲

先月は「幽」を論じると予告していた。今回は青島と恐山という二つの聖地が鎌田東二教授の「幽」という空間感覚の原点だということから始まる。「さて、『古事記』では、この「幽」の感覚は二つの物語として表現されている。一つは天照大御神の天の岩戸隠れ神話、もう一つは大国主神の国譲り神話として。冨士谷御杖の古事記論や言霊論に戻る前に、その神話的「原点」を確認して」おくため、『古事記』の神話構造を説明する。

冨士谷御杖の「幽」の世界観と言霊論

著者は『記号と言霊』(1990年)のクリスティヴァの言語論を飛ばしてたあとに、「さて、御杖にとっての深層的次元を表わすその他の概念に「幽」がある。かれは「すべての顕露の妙事は、幽事(かみごと)よりおのづから生ずる所(以下、省略)」(P335)と始まるところを、「冨士谷御杖は「幽」について、「すべて顕露の妙事は、幽事(かみごと)よりおのづから生ずる所」とか、(以下、省略)」と整え、冨士谷御杖の思索の象徴論的二元性を以下の表にまとめた。ここまではお浚いである。

私思欲情 女性原理 神道 倒語 深層
道理 男性原理 人道 直言 表層

このあとに、冨士谷御杖の詩学である歌学の趣旨を引用し、歌道修行における情動の発展のダイナミズムを「五典」として説明した。「これは一つの生の哲学であり、歌道修行の深層心理学である」と評価した。著者は最後に冨士谷御杖の直面した問題地平をあげている。誤変換と思われる箇所もありここにメモすることはしない。「冨士谷御杖の学問的営為は、今後神道の思想的可能性を吟味する際に看過することのできない問いを投げかけていると言えるだろう」と言い切っているので、この冨士谷御杖の論考は終わると思われる。

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