『秀吉没後の豊臣と徳川』(2023)

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河内将芳『秀吉没後の豊臣と徳川 京都・東山大仏の変遷からたどる』淡交社、2023

豊臣(羽柴)秀吉の時代は朝鮮出兵があり、専制権力者が支配した時代であり、あまり関心を持てないのであるが、河内将芳氏が東山大仏を通して政権を見る視点は面白かったので読んできた。今回もその延長線上で買って読んでみることにした。同時代史料を利用するのは歴史家ならではあるが、それを用いて何を明らかにするかが重要である。

はじめに

河内将芳氏が先行研究に対して違和感を感じたことが最初に書かれていた。

守屋毅氏の『「かぶき」の時代ーー近世初期風俗画の世界ーー』(角川書店、1976年)が新たな統一政権(徳川)への「拒絶反応」があったと書いてあったという(pp.10-11)。黒田日出男氏の『豊臣祭礼図を読む』(角川選書、2013年)も当時の政権への見方が気になったのだろう。これらの先行研究を念頭において論考が行われたことは明らかである。

秀吉という天下人が亡くなって先行きが不透明になった時代を人びとがどのようにみつめたのかを描くのが本書のテーマと考えられる(p.10)。

1章 「関東と京都の御弓箭」としての関ヶ原合戦

1章は関ヶ原の合戦に至るまでの出来事や「関東と京都の御弓箭」が始まり、醍醐寺から直線で5kmの伏見城への「秀頼衆」の凄まじい攻撃や、醍醐寺周辺での賊徒による濫妨狼藉と「制札」を求める醍醐寺側の様子が『義演准后日記』などを通して鮮やかに描かれる。ここでも藤木久志『城と隠物の戦国誌』(ちくま学芸文庫、2021年)で出てきた「預物」の話しが出てきて興味深かった。そういった参照本を手元に置いておくと深く味わえるのである。醍醐寺、勧修寺、随心院なども何度も通ったし、上醍醐に登って景色も眺めてきた。そういった経験もあって本書の記述を十分楽しめた。

注)いわゆる「関ヶ原の合戦」という名称では、この東西合戦の全容を表しきれていないことに言及はなかったが、当時の言葉を使って「関東と京都の御弓箭」としたのはそういう意味であろう。

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