川田久長「築城典刑の初版と再版」『書物展望 創刊號』書物展望社、1931年
我が国の活字印刷の初期
『書物展望』の最初に川田久長が書いた「築城典刑の初版と再版」を読むと、日本の活字印刷の歴史の中で漢字と片仮名の鉛活字を鋳造して印刷したのは大鳥圭介が初めだという。万延元年(1860)初版の『築城典刑』がそれである。
「本邦製の邦文鉛活字を用ひて印刷した書籍で現存する最古のものは、(省略)、大鳥圭介氏の創製した鉛活字を使って刊行した『築城典刑』である」(「築城典刑の初版と再版」)。
川田久長は初代印刷博物館館長となった。これは川田氏が所持していた手元の本を見ながら書いた話である。
さて、最古と言い切れるのか、川田久長『活版印刷史』(1981)で調べてみようと思う。意見が変わってなければそうなのだろう。ひきふね図書館で検索してみたが在庫はなかった。みなと図書館にあった。いつか借りにいくことにして、その前に、Google検索で見つけた論文を読む。井内秀明氏が「19世紀の幕末維新期に入ると、西欧の技術への関心が高まり、長崎の本木昌造、江戸の市川斎宮(蕃書調所)や大鳥圭介(縄武館)、島霞谷(大学東校)、薩摩藩の木村嘉平などにより洋式活版術が試みられ出版も行われた。しかし、これら日本国内での試みに先行して、西欧の東洋学者及び、中国に派遣された宣教師たちが漢字および仮名の活版による印刷を行なっており、それらの技術が基礎となっていたことが小宮山氏、府川氏ほかの研究で明らかにされている」(注)と書いていた。何か一括りにされてしまい残念な気がする。私は鉛活字を鋳造し邦文出版を行った大鳥圭介を評価する川田久長の叙述の仕方を好む。その辺りが井内秀明氏では曖昧さが残る。
(注)
井内秀明「近代活版印刷史について ー1980年代末からの研究をたどるー」『文芸研究』 123号、明治大学文学部紀要、2013年
『築城典刑』とは
そもそも『築城典刑』とは何だろう。「『築城典刑』の初版は、幕末江戸芝新錢座にあつて洋式の兵學砲術を教授するために、江川太郎左衞門及び高島四郎太夫を中心として開かれた繩武館から出版されたもので、築城法の飜譯書である。原著者は和蘭の兵學教官吉母波百兒、飜譯者は大鳥圭介」(「築城典刑の初版と再版」)である。
『築城典刑』を国立国会図書館デジタルコレクションで読むと、漢文ではなく漢字片仮名混じり文で書かれている5巻本であることが分かる。
原著はPel, C. M. H.: Handleiding tot de kennis der versterkings-kunst(1852年)で、『築城技術の知識手引』くらいの題名の本である。函館五稜郭(1866)、佐久龍岡城(1863着工未完成)の築城に利用されたと考えられるが、五稜郭は蘭学者武田斐三郎が設計し函館奉行所が1857年に着工しているので、『築城典刑』ではなく、原著のほうだろう。龍岡城は『築城典刑』等を学んだ三河国奥殿藩松平乗謨(のりかた)が建築した星形要塞である。
活版印刷が日本の近代化の歴史に影響を与え始めていた時期の話である。
#齋藤昌三 #歴史
コメント