河内将芳『シリーズ 権力者と仏教 秀吉の大仏造立』法藏館、2008年
第3章 善光寺如来の遷座
大仏開眼供養を前に、文禄5年(1596)に京都を襲った地震(慶長・伏見地震)により、大仏殿は無事であったが大仏に損傷が生じる事態となった。結局、大仏は修復されることなく取り壊されて、代わりに善光寺如来が甲斐国より遷座することになる。善光寺如来は信濃善光寺の秘仏であったが、武田信玄が川中島の戦いの時に甲斐国に移していた。甲斐善光寺である。私も甲府に行ったときに見に行った。寛政8年(1796)に再建された本堂だったが大きな建物が突然現れたという印象が残っている。
太閤秀吉が夢に見た善光寺如来が大仏殿に遷座したのは慶長2年(1597)であり、慶長3年に秀吉が死ぬ前日に信濃善光寺へ返っていったという。何ということだろうか。武田家を滅ぼした信長父子が善光寺如来を美濃へ移して滅び、甲斐へ戻されたものを京都へ迎えた秀吉もまた病を得たという。
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