『たった一人の山』(1958)

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浦松佐美太郎の『たった一人の山』(文藝春秋新社、1958年)

タイトルは知っていたが読んだことはなかった。たまたま甘夏書店さんで見つけて、甘夏さんの解説が良かったので手にした(笑)。箱が破けているけど、佐野繁次郎の装幀が素敵なので買うことにした。

大貫伸樹氏が『装丁探索』(平凡社、2003年)でこの本についてタイポグラフィカルな装丁(P127)として書いていた。

「佐野の装丁は資材や描き文字に特徴があるが、何と言っても真骨頂は、タイポグラフィの概念が日本に上陸する六◯年代に先駆けて、活版文字をデザイン要素として積極的に取り入れた装丁であろう。活字は統一感や没個性を重視し、佐野の文字であることが一目でわかる個性的な描き文字とは全く相反する。浦松佐美太郎『たった一人の山』の見返しは、一六ポイント以下の活字で行間ベタにして本文を組み直し、清刷を拡大して黒バックの中に白抜きにした文字だけで構成している。文章が途中で終わっており、文章を読ませることより、文字をデザイン要素として扱おうとした意図が窺われる。表紙は清刷の字間を詰め貼りして拡大し、色箔の版下にしている。見ただけではそれとは分からない手の込んだ文字の扱いは、創作物への執着と意欲を感じさせる。黒字に白い文字で統一したデザインは、孤独な登山者のつぶやきの世界を象徴しているようでもあり、地味だが力強く、内容にマッチした優れた装丁といえよう」。

黒地の表紙に箔押しされた文字が渋い。見返しは「山靴」と「山と氷斧」からとられた文字が黒地に白抜きで印刷されていた。美本であれば惚れ惚れすると思った。

タイトルの「たった一人の山」は浦松佐美太郎が夏のシーズンの終わりにスイスのグリンデルワルト(グリンデルヴァルト、Grindelwald)のホテルで気の合った山岳ガイド達がいなくなって一人で退屈しているとこから回想が始まる。一人でウェッターフォルン(ヴェッターフォルン、Wetterhorn 3,701m)へ登るが、途中で断念する話である。一人の山とはそんなもので、「友達がいたら、よし登ろうと、きっと自分から言いだすに違いないと思いながら、頂上は止めにして、もう下ることにしょうと決心していた」(P20)と書いていたが、ガイドと一緒なら間違いなく登らなかっただろう。浦松佐美太郎は翌年ウェッターフォルン(ヴェッターフォルン)西山稜初登攀(1929年)をガイド達と果たす(「頂上へ」)。

注)『たった一人の山』(文藝春秋社、1941年)は戦時下になると「たった一人で山に登るのは欧米の個人主義かぶれの非国民だ!」と非難され、検閲で許可にならず出版停止となったとある(ふわく山の会のホームページ)。著者は単独行をほとんどしていない。本を読んでいない人達の中傷である。

注)この頃の登山家のヨーロッパ滞在の本を読むと、随分のんびりしている。登山は余裕のある人達のスポーツだった。

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