『シリーズ日本古代史⑥ 摂関政治』(2011)

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古瀬奈津子『シリーズ日本古代史⑥ 摂関政治』岩波新書、2011年

令外官で蔵人、検非違使、摂関や関白を思い浮かべても内覧も令外官であることはあまり意識して読んで来なかった。太政官制のプロセスを令外官でどう変えたのか、中世を理解するにも古代を知らねばならない。

政務について官奏タイプと奏事タイプの模式図が46頁にあり、参考になった。

「本来、律令制下の平安初期における政務(官奏)では、諸司・諸国から申請などかあると、まず太政官の弁官で受けつけ、弁官の結政(かたなし)で文書整理が行われた。その後、外記庁(げきちょう)において外記政(げきせい)(大臣らが決裁を行う太政官の最終段階の政務)が行われ、弁官から上卿(しょうけい)(出席の上席公卿)に対して上申され、上卿が決裁を行った。上卿では処理できない場合には、天皇に「官奏」して裁可を仰いだ」(P46)。

奏事(そうじ)

「「奏事」は、公卿以下の太政官職員の組織的な文書審査なしに、弁官や蔵人によって天皇へ(あるいは院政期においては院へ)直接奏聞される政務方式であり、中世公家政権の基本となる政務方式である」(P46)。

「「奏事」においては、(省略)弁官の結政から外記政という太政官における政務の段階を省いてしまったことが特徴である。天皇への奏上の過程で大臣や公卿が関わることはほとんどなく、摂関や内覧が目通しし奏上した後、諮問を受けたり、決定事項を施行する段階において初めて関与してくることになる」(P46)。

「奏事」は道長が一条天皇の内覧になって成立したと云う。

「これは、太政官の権力の大きさを熟知していた道長が、太政官の実質的なトップである左大臣と、摂関と実質的には同じ機能を持つ内覧と、その両方の政治的地位を維持するために取った方策であったと考えられるのである。そして、その間に公卿と太政官の実権を骨抜きにする「奏事」を発明し、徐々に浸透させていったのである」(P48)。

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