『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』(2020)

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遠藤耕太郎『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』中公新書、2020年

『万葉集』は書記言語として漢字で書かれた歌集である。それ以前の声の歌に遡ることはできない。日本の言語学者は音声言語を追求してきたが、うまくいくはずがなかった。

遠藤耕太郎氏は中国雲南の少数民族に残る習俗を追いかけた。中尾佐助等が提唱した「照葉樹林文化論」では「歌垣」が共通する習俗として取り上げられた。「照葉樹林文化論」は日本人のルーツを直接探るものだったが、遠藤耕太郎氏は歌垣を通じて声の歌の再現に挑戦した。

遺伝子解析は、アフリカを起源とするホモサピエンスの移動というダイナミックスのなかで、日本列島へのルートは大きく3通りあることを教えてくれた。「照葉樹林文化論」の切り口は見直されてよい。遠藤耕太郎氏が着目したのは、「漢字」だった。

「雲南が中華王朝の辺境地域に位置し、さらに南詔(なんしょう)(8世紀半ば-902)や大理国(だいりこく)(937-1254)という国家を作った民族の子孫(イ族やナシ族、ペー族)もいるということだ」(P22-23)。

「すでに南詔の時代に、王と清平官(せいへいかん)(宰相)は漢字によって南詔の言葉を表記した漢詩を創作している。また、特に明代以降、ペー族の人々は、漢字を音仮名としてペー語を表記するだけでなく、訓読み、音読み、新たな漢字の創作(国字)などの方法でペー語を表記するペー文という方法を開発し、墓碑に記す詩や詞を創作したり、大本曲(だいほんきょく)、本子曲(ほんしきょく)というペー文で表記した台本を三弦の伴奏によって歌うという語り芸を伝えている」(P23)。

子安宣邦氏のいう「不可避な他者」としての漢字は、日本、朝鮮や越南だけでなく、中国辺境の少数民族に中にも書記言語の受容の歴史としてあったのである。

遠藤耕太郎氏は1997年から雲南に調査に入っているベテランである。一歩踏み間違えれば死ぬ危険を冒して暗い鍾乳洞の中を進む話を読むと何故がワクワクするのは、辺境という未知がそこにあるからである。

「私がこだわりたいのは、書かれた歌としてある万葉和歌の抒情表現の方法は、声の歌のなかで培われてきた技術を継承しているということである。本書はこの点を中心に、万葉和歌の抒情の起源を探ろうと考えている。『万葉集』に始まる和歌の抒情表現のあり方は、その後の日本人の抒情のあり方を決定づけてもいるから、万葉和歌の抒情の起源を探るということは、私たち日本人の抒情のあり方の起源を探ることでもある」(P20)。

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