上山春平『日本の名著 西田幾多郎』中央公論社、1970年
上山春平は解説「絶対無の探求」のなかで、西田幾多郎の生誕百年の意義をNHKからの電話で問われたエピソードから始めている。西田幾多郎の評価はすでに難しいものとなっていた。上山春平は西田幾多郎の『善の研究』を読むことにより哲学の道に入ることになっが、西田幾多郎の哲学からは離れている。私は上山春平を最近読み直すことが多くなった。昔読んだ本が、私の基盤をなしているのであろう。しかし、『日本の名著 西田幾多郎』の上山春平の解説を読むために買ったのであるが、途中でやめて、月報を読むことにした。
月報の田中美知太郎と上山春平との対談は面白く、読み続ける元気をもらった。西田幾多郎を宗教的なところがあると思っていた上山春平が編集にあたって西田幾多郎を読み直した結果、漢学の古典だけでなく、西洋の古典を読んでいることや、数学への関心があることに上山春平が言及すると、田中美知太郎が明治時代の人はヨーロッパの古典を直接読んでいたが、大正以降のインテリに全然この古典感覚がないという。西田幾多郎がギリシャ古典を踏まえていて、以降の日本の哲学者との比較で、スケールが違う点が分かった。
さて、解説に戻る。上山春平が西田幾多郎を読んだ内容が紹介され、本の編集方針があったので、書誌情報をまとめておく。
本書への収録作品は、西田の思索の出発点をなした『善の研究』が中心であるが、上山春平は第二編「実在」だけで、あとの三編は割愛してもよいと書いている。底本は『西田幾多郎全集』岩波書店、1964年〜1966年によっている。表記は現代かなづかいに、漢字は新字に改め、より読みやすくするため、適度に漢字をかなに直したとある。
難解な文体を読むにはもう少し秋が深まったほうがよいと思った。
#上山春平 #西田幾多郎
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