木田元、マイケル・エメリック訳『対訳 技術の正体』デコ、2013年
書誌情報
「技術の正体」は『正論』1993年10月号、産経新聞社に掲載。『哲学以外』(みすず書房、1997年)に再録。
この他「春の旅立ち「風の色」」朝日新聞、2012年4月3日。「ふたたび廃墟に立って」『「東日本大震災」復興と学び 応援プロジェクト』河合塾、2011年
「はじめに」が要約する様に書かれており「技術の正体」より長い。「東日本大地震」を経験した後で書かれているだけに、「技術の正体」の結論は気になる。
「人間の理性が技術をつくったというのは実は間違いで、技術というものは理性よりももっと古い起源をもつ。したがって、人間が理性によって技術をコントロールできるというのはとんだ思いあがりではないか」(4頁)。
この結論は1993年から変わっていないという。
では、「技術の正体」の方を見ていこう。
「人類の理性が科学を産み出し、その科学が技術を産み出したという、この順序に間違いはないのであろうか」(56頁)。
「むしろ、技術が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科学を生み出したと考えるべきではないだろうか。
そして、その技術にしても、人類がつくり出したというよりも、むしろ技術がはじめて人間を人間たらしめたのではなかろうか」(同上)。
「火を起こし、石器をつくり、衣服をととのえ、しょくもつを保存する技術が、はじめて人間を人間に形成したにちがいないのだ」(58頁)。
「どうやら技術は理性などというものとは違った根源をもち、理性などよりももっと古い由来をもつものらしいのだから、理性などの手に負えるものではないと考えるべきなのである」(60頁)。
われわれは技術が自己増殖する過程をゲノム編集の研究者の行動で見たのである。倫理では止められなかった。自分がやらなくても他の研究者がするから、理性に反して実験をしたのである。
木田元は「技術だけでなく資本もまた一つの複雑系として自己運動をすると考えている」(12頁)。
「マルクスも、初期の』経済学・哲学草稿』においては、人間は資本を制御できるし、革命によって経済構造を変えることができると信じていた。しかし、晩年は、それはとても無理だと気づき、資本の自己運動の法則を追求しようと試みた」(14頁)。
2008年のリーマンショックが記憶に新しい。
技術と芸術が同根であるというのは木田元の対談集でも言っていたが、「技術の正体」ではまだ突き詰めていない(注)。
対訳が長めになるのは説明しようとすれば他の言語でもそうなる。われわれは効率的に言葉を使っているのである。
(注)木田元『木田元対談集 哲学を話そう』(新書館、2000年)の福田和也氏との対談「知識人とナチズム」(84頁から90頁)。
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