『法然の手紙を読む』(2025)を読む(その2)

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阿満利麿『法然の手紙を読む』ちくま学芸文庫、2025年

第二章 「根本の弟子」は武士

法然の弟子となった関東武者の大胡太郎実秀(だいどのたろうさねひで)、渋谷七郎入道道遍(しのやのしちろうにゅうどうどうへん)、津戸三郎為守(つのとのさぶろうためもり)を「根本の弟子」と親鸞が『西方指南書』で書いていると言う。

法然からの手紙は熊谷次郎直実、津戸三郎為守、大胡太郎実秀が取り上げられている。

津戸三郎為守宛の手紙の「機縁純熟」(p.119)をめぐって一層突っ込んだ議論がなされる(p.120)。

釈迦の説法は「随機の法」(p.124 )であるとし、「機」は人間のことで、人に応じた教えであると言う。

原文では「釈迦も世に出で給ふ心は、弥陀の本願を説かんとおぼしめす御心にて候へども、衆生の機縁人にしたがひて説き給ふ日は、余の種々の行をも説き給ふは、これ随機の法なり、仏の自らの御心の底には候はず。されば念仏は弥陀にも利生の本願、釈迦にも出世の本懐也」(p.121)とある。

阿満利麿氏は「釈迦の本心は本願念仏を説くところにあったという一節は、当時の既成教団を大いに刺激する言葉となり、南都北嶺の弾圧を招く原因となった」(p.125)と言う。

「一二〇五(元久二)年秋に、解脱坊貞慶が『興福寺奏状況』を書いて、法然教団への弾圧が強まる」(p.149)。この頃、津戸三郎より、鎌倉幕府より念仏者が喚問された場合どうすればよいか質問があり、それに応えて法然は「余計なことを口にしないこと、(中略)、身分的・地位的にも、もっとも低いと思われる立場に自分をおいて、そこから発言するように」(pp.133-134)というアドバイスをしていると阿満利麿氏は言う。

法然の教えはラディカルであった。津戸三郎も鎌倉幕府から召喚を受けるかもしれないという状況で、危機は迫っている。法然の返答は法廷対策そのもののようである。

一二〇六(元久三)年春、津戸三郎は鎌倉幕府に召喚された(p.149)。

「一二〇七(建永二)年二月九日、住蓮、安楽が処刑され、同じ月の十八日、法然が土佐に流罪となった」(同上)。

法然が土佐国に流罪となったとき、実際には讃岐国に留まっていたが、そこへ津戸三郎より消息が来たことへの法然の返書に対する阿満利麿氏のコメントが踏み込んでいる。

「この世は穢土であり、心憂き出来事に巻き込まれるのも「宿報」であり、「恨み」に思うことがあってはならない、と法然は諭す。そして、穢土ならばこそ、浄土を願え、とも。その通りなのであるが、あえて一言付け加えておきたい」(p.151)と阿満利麿氏は言う。

これは気になったので長いがメモしておく。

「仏教は、「因・縁・果」に目を開くことを教える宗教である。現実に目をつぶれ、と教えてはいない。それが仏教だとしたら、仏教に名を借りた悪質なイデオロギーでしかない。現実が「宿報」の連続であることは、事実である。だが、念仏の暮らしが始まると、その事実を受け止める力が生まれてくるのではないか。もっといえば、「因・縁・果」の流れを見定める余裕といってよい。「宿報」を生み出す原因が見えているはずなのだ。原因が見える以上、その解決、克服の道筋も見えるはずではないか」(p.152)。

「宿報」という「因・縁・果」の連続が現実だとしても、諦めてはいけないと言うのだ。

「「宿報」といわざるをえない現実を、念仏という拠り所があるゆえに、冷静に見ることができる。それが、現実の変革の引き金になる。一人で、またその生涯だけでは解決はできなくとも、社会の不平等や悪を生み出す仕組みについては、変革することが人の務めではないのか。本願念仏には、そうした「力」があることに、もっと目を向けてはどうか。それが、法然の教えを八〇〇年後にたどる私たちの課題ではないだろうか」(pp.152-153)。

山折哲雄氏とは違った法然像がある。

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