軽佻浮薄の勧め

読書時間
谷沢永一『読書人の壺中』冬樹社、1978年
書誌情報
目次はあるが、まえがき、あとがきはない。これは谷沢永一の姿勢であるからよいとして、谷沢永一の読書論が最初に展開されるが、目次からは読み取れない。後続の書評のスタイルとは違うレイアウトのため、編集者が無理矢理に目次を作ったのだろうか。単に杜撰なものなのか。
Ⅰ 雑書雑談
雑読学序説+涙をふるって空間確保
Ⅱ 旧刊発掘
『教育新聞』に1975年に掲載した34編
Ⅲ 余情残心
本の解説や書評24編
読書論
「雑読学序説」を読んでいくと、話の骨子はすでに知っていたので、他で同様の話を読んだに違いない。著者は同じ話を何度も書いているのだ。しかし、細部には記憶されていないエピソードが出てくるので、読むことは楽しいのである。
「そこで私の考えております主題をひとまず要約するとして、まずテーマの第一、本当の読書というものは、義理で、または利益を求めて、なんらかの見栄で、或いは仕事のために止むを得ず取りかかるというものではない。少なくとも本筋においてはそうではない。だからそれはあくまでも自分の好み、意志、内面的な要求、そういうバネで読書するのだけれども、しかし、その種の謂わば一番フリーな読書生活でも、それを習慣づけてゆく、習慣を再生産し多少の変更を自然に加えながら恒常的な長持ちのする持続力へ持ちこんでゆく、そういう無意識の計らいが本当は必要なんだという問題です。あらゆる読書論の根本はこの点を見定めてかからなければならない。この習慣の持続力、それの再編成あるいは修正の加工によってより自分の性格や、生活にふさわしいような形態に仕向けてゆく、その半ば無意識をともなった日常不断の努力、これが、もし読書論というものがあり得るならば、そこが一番の根本である。すべてはその根本から発するわけで、その出発点を押さえていない読書論というものは、それは枝葉末節の議論にすぎない」(pp.14-15)。
自分の読書を振り返ると、興味本位であったと思う。仕事のためと趣味のためだった時期が、怪我で山に行けなくなって、仕事に傾いた。それが、50歳で、遊びを覚えて変わり、卒業してからは書籍目録に記録している通りのものである。段ボール箱を開けながら、もう読まないだろう本は処分してしまうしかない。気持ちの負担になるのである。贔屓の作家の本だって、本棚に挿さしたまか、地震で、下に落ちていて、段ボール箱が邪魔して拾えていない状況である。本には行き場があるが、最も困るのが、京都土産の紙屑で、マニアだから箸袋も取ってある。この始末は難しい。ゴミ屋敷は精神の問題である。
贔屓学者を作る
学問の領域をすべてカバーすることは無理な話だ。専門の領域は狭い。深く掘り下げるためには、土台となる知識領域も広いので専門家であるための継続教育が義務づけられている。コミュニティの中でしか情報が共有されないので、私も複数のコミュニティに参加して時代の風を感じるようにしている。この夏で専門委員の任期が終わるので、コミュニティから外れる。そうした知識は急激に陳腐化するので、まとまって書類が不要になるに違いない。継続教育が不要になれば、時間がなくて読めなっかった本を読む時間がそれだけ増えることになるのだろうか。
「さしあたり私の工夫は国文学の領域に向けられましたが、これは全く違った分野にも多少は修正を加えながら或いは適用できるのではないでしょうか。すなわち問題のメドは幹線水路の発見です。結論から先に申しますと、私は各時代ごとに自分の贔屓学者を作るということを考えたわけです」(p.20)。
谷沢永一は贔屓の学者を「河口学者」と呼んでいる。「その世界のいろいろな水域の学問を全部或いは殆ど自分の業績の中に集合し反映しているような、これを河口学者とでも申しましょうか、まさに大河の河口のように自分の問題設定の基礎に多種多様な学問の流れを満々と合わせ持っている、そういうスタイルで学問を進めている人、そういう方を自分なりに生意気ながら選んだわけです」(p.22)。
「(省略)専念型の仕事を読んでいたんでは、私の最も知りたい同時代の学問の風向きはわからない。だからいつもその時代の流れを体現している学者、つまり視野が広く、気持ちの働きとしては貪欲であって、様ざまな域外の材料や思考を取り込んでゆくという目配りの確かさを持っていて、その結果、当然そうなるのですが、その人たちのひとつひとつの研究業績それ自体が、着眼から材料の吟味から論証の手続き叙述の様式に至るすべての局面を通じた方法の面で、専門分野の違う私にもなんらかの示唆を与えてくれるような、そういう学者、これにガンをつけて選び出し、勝手に自分の贔屓と決めてしまうわけです」(p.23)。
思えば、著者の手法を真似て、特定の作家を読むことをしてきたが、肝心の目的を忘れていたこと気がつき、冷や汗が出た。読むことでその分野の風を感じなければならなかったが、単に、読み慣れたから、その書き手の本を読んできたのであった。問題意識の弱さと言ってよい。
軽佻浮薄の勧め
しかし、「特定の学者著述家だけは深くシツコク追いかける少数精鋭主義」(p.23)には、新たなものや銘柄を入れ替えるなどの更新が必要であるという。人間には倦怠がつきものであるとの洞察がある。贔屓だとて新鮮味を失うこともあるのだ。
こうして、常に脳に刺激を与えることで時代の風を感じていないと読書生活も体力がいるので古典至上主義や精読主義といった視野が狭くなる沈潜主義に陥ってしまう。そのためには軽薄「軽佻浮薄」が良いと谷沢永一が言う。そういえば、N先生は、いつもカラオケは新曲だったし、昔の歌を唄ってばかりいてはいけないと言っていた。しかし、カウンターではいつもお任せだった。このあたりのさじ加減が難しい。谷沢永一は野次馬がよいと言う。
「読書の場合も、とりあえず我々は野次馬であることが一番必要であると思います。野次馬でなくなった時は、これは大体そろそろ読書生活とおさらばということになるんじゃないか。つまり古典読みと読書生活とは違うんです。明けても暮れても論語を読んでいるというのは、これは読書家とは全く別なんです。論語読みであって読書家ではない。一巻の人システムではない開かれた読書生活を続けるためには、これは何を措いても野次馬であることが必要です」(p.28)。
読書における軽佻浮薄は、本の刊行予定に目を通すことや、自分の知らない分野の本を立ち読みすることの効用が書かれていた。その点で古本市は図書館以上に便利である。贔屓の作家の発売予定が新聞の広告に掲載されると取り敢えず買うだけでなく、年毎に興味を抱いた書名のリストを作って自分の興味範囲を確認してきたのは意味のあることだった。
「整理排列のための記帳やカード採りは全くの無駄であるから、結局、何があるかを覚えておれる範囲を越えたり、必要なときにサッと引き出せないほど錯雑してしまったら、所蔵している意味がなくなる。個人の蔵書が有効であり得る量には、普通に想像されるより遥かに狭少な限界があるようだ。時期を決め、二次的三次的必要しか認められぬものは勇断をふるって処分すること。書棚に或る程度の空白をいつも作り、新入り歓迎の余地を空けておく手配が、最善の整理法であり、精神の衛生学ではなかろうか」(p.67)。
自分の興味との関係を見出すことで読書を広げやすいが、本棚を限度とすることを学ばなかったのは反省ものである。読み返すと思った本も新刊の魅力には勝てなかった。まして、谷沢永一の勧める本が見つかれば買いたくなるのである。
注)谷沢永一の贔屓。神田秀夫(上代)、清水好子(平安朝)、小西甚一(中世)、中村幸彦(近世)、関良一(明治文学)。別格に神掘忍(国文学)。
谷沢永一のお陰で、清水好子、小西甚一、中村幸彦の本が数冊ある。

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