『平安京遷都』(2011)

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川尻秋生『シリーズ日本古代史⑤平安京遷都』岩波新書、2011年

そういえば、『日本後紀 上』(2006年)を読んでいて、平安京遷都が知りたくなったと書いた。川尻秋生氏の新書を読んで平安京の成立あたりの参考文献に手を出してみたくなる。となると名前を知っている山中章氏の『長岡京研究序説』(塙書房、2001年)を探してみるか。

目次をざっとみると各章は3〜4節に分かれており、投げやりではない。

第1章 桓武天皇とその時代

第2章 唐風化への道

第3章 「幼帝」の誕生と摂政・関白の出現

第4章 成熟する平安王朝

第5章 唐の滅亡と内乱の時代

第6章 都鄙の人々

川尻秋生氏は「長岡京や長岡宮については、現在も発掘調査が継続中で、かつ異なった復元案がある」(P14)としている。私も長岡宮跡を見に行ったが、住宅地に囲まれた公園だった。何かを発掘している風景は見当たらなかったと思う。

川尻秋生氏によると長岡宮は後期難波宮を解体して移築したという。問題は第一次内裏の「西宮(にしのみや)」の扱いだ。大極殿の北に内裏が縦に繋がっていれば、天皇が政務のために大極殿へ出御することになるが、大極殿・朝堂院が儀式の場となり、実質的な審議が内裏で行われることになった理由が、長岡宮で大極殿・朝堂院と内裏が離れたことに求められる可能性がでてくるというのだ。

長岡宮の評価はまだまだ定まりそうもない。

さて、平安京遷都について、川尻秋生氏によると上限は延暦十年九月に平城宮の門を解体して長岡に運ぶことを命じた時(続日本紀)、下限は延暦十二年正月に遷都のため大納言藤原小黒麻呂と左大弁紀古佐美を山背国葛野郡宇太村の土地の様子を視察させた時(日本後紀逸文)という。結局、私が『日本後紀 上』から遷都関係を抜き出したことを超える情報は得られなかった。そもそも『日本後紀』を『日本紀略』で補っているので同じわけだ。『日本後紀』で散逸した部分が見つからない限り平安京遷都を論じるのは限界がある。

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