桜部建・上山春平『仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>』角川書店、1969年、1978年第10版
一日の読書が進まないのは、日中はリモートワークしているので、夜になって疲れてしまうからです。通勤もないのに疲れてしまうのは、運動不足になっているためでしょう。
第三章 ダルマの体系Ⅰ
「無常・苦・無我の教えはアーマガ経典の中にくり返しくり返し説かれるところである」(P41)。
「あらゆる存在のすべては無常である、という。(「無常」とは、時間の流れの中で移り変ってゆくという意味である。)すべては苦である、という。すべては無我であるという。(ここにいう我とは、自己の存在の中心に意識されているわれという観念であり、わが生存の主体と考えられるものであり、さらに具体的には、身体の内部に潜む唯一で不滅なたましい、霊魂、を意味している。「無我」とはそのような我の存在を否定することばであるから、その意味は、今日ふつうにこの語が用いられている場合のそれーー自己を主張する心のないこと、私心のないことーーとはすこし異なっている。)」(P41)。
「すべては無常である、無常なものは苦である、苦であるものは無我である」(P41)と無常から説明がされることを考えていくと、「すべては因果関係の上に生ずる」という「縁起」の考え方になります。
「説一切有部アビダルマの場合は、「すべてがある」という主張を、一つの理論によって、精密な学説として展開し、それをもって「すべては無常であり、無我である」ことの論証を成し遂げようとする独特な立場をとった。われわれはいまその理論をO・ローゼンベルク(省略)の命名にしたがって、「ダルマの理論」と呼ぶことにしよう」(P45)。
コメント