2018年09月書籍往来

書籍目録

安東次男『与謝蕪村』講談社文庫、1979年

大学を卒業した年に出た文庫である。この頃は文学青年だったのだろうか。事務所に積んである辻邦生、森有正、饗庭孝男の本が捨てられないでいる。

『ヴァレリー・セレクション』を読んで、デカルトの『方法序説』にデカルトの生き方を読むという視点をヴァレリーに教わったばかりである。久しぶりに『与謝蕪村』を読みながら、著者である安東次男の生き方に共感を持った。以前読んだときは、通説に対して安東次男の新解釈に興味があったが、今回読んでみて、なぜ、安東次男がそう読めるのかに興味は移っていた。安東次男が三校の頃の思い出、豪徳寺の家が文士の麻雀狂の巣になっていること、好きでもない蕪村に付いて書く話が、まるでデカルトの話を読むような気がして面白かった。

骨董に狂った安東次男が、突如骨董を売り払ってしまったりする話で感心したことをメモしておく。

「しかし、そのためには、捨てるべきものをまず手に入れる必要がある。というよりは、捨てるに値するものを、というべきだろう。振捨てるのに必死になるほど、愛着の断ちがたいものを、探すことが先決だ。この単純なことに気づかせてくれたのは、青年期の智慧ではない」。

「捨てうるということは夢中になりうることだ。そう思って見ると、夢中になりうるものなど、そうわれわれの回りには転がっていない」。

評釈を読むのは作品を深く理解するためであるが、そのためには評者を知るという当たり前のことがなければ読み間違う。

#安東次男

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