中沢新一氏の『アースダイバー神社編』(講談社、2021年)を読んでいくと、日本列島に現れた南方起源の移住者が鹿児島に上陸したと書いてあって、知識の前提が揺らいだので、先を読めなくなった。そこで、手近の考古学の本を読み直すことにした。
「いまから一万五千年ほど前、鹿児島の南端に土器を持った新石器人が海を渡ってたどり着いた。彼らの持っていた土器が「縄文土器」である。縄文人が日本列島へ初めて登場した」(P024)。
「ユーラシア大陸の東縁にたどり着いた人間は、南太平洋の島々から南アメリカ大陸まで、環太平洋の一円に広がっていった。日本列島に入った縄文人もその一員である。彼らは台湾、南西諸島をへて、一万五千年ほど前、鹿児島の南端部に上陸している。その後も何波にもわたって移住者の群れが日本列島に到着した。いずれも南方の海上ルートをわたってきた人々であるので、彼らの文化には深い「環太平洋的特性」が刻み込まれている」(P035)。
縄文と考えられる最古の遺跡が鹿児島で見つかっていることは事実である。しかし、旧石器時代の痕跡は日本中に存在し、その石器の年代分布から日本列島にホモサピエンスが生活していたことは確かである。温暖化で海面が上昇したことから旧石器時代の居住地は海面下となり、高地の残る旧石器時代の遺跡から判断するしかないが、旧石器時代から縄文時代への移行を移住者で説明するのはどうかと思う。縄文土器の南限は沖縄本島である。東アジアの旧石器時代人が気候変動の影響で土器を使用するようになったと考えることでよいと思う。
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