『日本の中世を歩く』(2009)その5

読書時間

五味文彦『日本の中世を歩く ーー遺跡を訪ね、史料を読む』岩波新書、2009年

この本についての最後のメモを書くことにします。別に書くこともなく読み終わっていますが、旅するための元になるかもしれません。

第10章 足利に学徒の夢を追う

中世の学問を考えるとき、寺院が大きな役割を果たしていたことは間違いありません。近世と違い知は開かれたものではありませんでした。

「足利学校の形成に尽力した関東管領の上杉憲実は、文安三年(1446)に定めた学校の規則三カ条のなかで、老荘の学を含む儒学以外の学問を考えるのを禁じている」(P150)。

足利学校は他とは異なるようです。

なお、呉座勇一氏が『日本中世への招待』(朝日新書、2020年)でフランシスコ・ザビエルの書簡を引用していました。孫引きになりますが、そのまま引用します。

「ミヤコの大学のほかに他の五つの主要な大学があって、(それらのうち高野、根来、比叡山、近江と名づけられる四つの大学は、ミヤコの周辺にあり、それぞれの大学は、三千五百人以上の学生を擁しているといわれています。ミヤコから遠く離れた坂東(関東)と呼ばれる地方には、日本でもっとも大きく、もっとも有名な別の大学があって、他の大学よりも大勢の学生が行きます」(P88)。

呉座勇一氏はザビエルの手紙が伝聞に過ぎないため、この「近江」が何を指すのかは良く分からないと書いていましたが、五味文彦氏は近江(三井寺)と書いていました(P149)。

ザビエルがいう坂東の大学が足利学校です。

足利学校は庠主(しょうしゅ)と呼ばれる校長が禅僧であり、学生は学校に入る際に僧となり、禅衣を着用する必要がありました。中世ヨーロッパの修道院と比較したくなりますが、足利学校では宗教は教えないといいます。

足利では藤の花で有名なあしかがフラワーパーク、足利氏の鑁阿寺(ばんなじ)、史跡足利学校を訪ねることを忘れずに。足利三名所には陶磁器の栗原美術館もあり、三?ではなく四名所です。

 

第11章 北の国を目指した和人とアイヌとの交流

は函館にある中世遺跡としての志苔館(しのりだて)、勝山館(かつやまだて)めぐる旅でした。

第12章 今帰仁グスクから琉球の文化を探る

沖縄の今帰仁グスクに最も感動を覚えたと言います。私は読谷村の座喜味グスクを見たことがありますが、石の文化が日本の戦後時代より先に発達したものと知り興味を持ちましたが、沖縄の古代、琉球国の歴史は中世を遡れないので残念です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました