大岡昇平『堺港攘夷始末』中公文庫、1992年
河盛好蔵が『私の履歴書 フランス語盛衰記』(日本経済新聞、1991年)を書いた時、最初に堺事件(1868年)が3回にわたり取り上げられたことは、すでにブログに載せている。
大岡昇平の遺著である『堺港攘夷始末』について、菅野昭正氏が解説で「歴史が小説になるとき」を書いている。
「慶応四年(1868)二月十五日(陰暦)、堺港に上陸したフランス海軍の兵士と、この港町の警備に当っていた土佐藩の警備隊員のあいだに偶発した紛争」について「歴史の書にもまして、事件を後世につたえるものに貢献してのは、大岡氏によって、「切盛と捏造」をこまかく調べあげられた森鴎外「堺事件」である。鷗外が「歴史其儘」をどんなふうに歪めたか、またそれがどういう理由によるものだったか、大岡氏の検証と疑義は、「『堺事件』疑異」(1975)、「『堺事件』の構図ー森鴎外における切盛と捏造ー」(1975)にこまかく述べられている(それ以前も、たとえば「森鴎外」(1967)などで、何度か簡単に疑異にふれられている)」(P427)。
河盛好蔵氏は上品なので、森鴎外の「堺事件」に対する大岡昇平の批判までは書いていなかった。
菅野昭正氏が評じたことが当たっているのかもしれない。
「大岡氏はもっと遠くを見ていた。考えようによれば、小さな外交紛争と片づけられかねないこの偶発的な事件のなかに、事件の規模を超えるもっと大きなものが読みとれると考えたのである。そして、極東の一隅に閉じこもっていた島国が、やがてヨーロッパ、アメリカの列強と対抗しようとする過程において、どうしても出会わなければならぬ難問を予告する象徴的性質が、それから引き出せると判断したのにちがいない」(P430)。
昨今の、歴史家と歴史小説家との論争の噛み合わなさは残念である。大岡氏が歴史家と歴史小説家の違いにふれた「歴史的想像力と小説的想像力」(「歴史小説の問題」)について、菅野昭正氏が「小説的想像力は、文献・史料に記されている記述、あるいはその行間に仄めかされている暗示を読み解いて、そこから確かな事実を探りだすことに集中される。つまり、それは解釈と推論を組みたてる想像力である」(P432)としてところが妥当な線ではないのか。文献・史料を扱う作業について差があるとは大岡氏も考えていない。これが出来なければ歴史を扱ったことにはならない。
菅野昭正氏が『堺港攘夷始末』に読み出した小説想像力は素晴らしい記述だと思う。
「歴史的想像力による歴史の書物と大きな差異がつくりだされてゆくのは、この歴史小説においては、事件をめぐる大小のさまざまの事実性の柱の上に、事件をとりまく全体の映像が組みあげられるからである。一見、事件と直接にかかわっているとも見えない前史のなかから探りだされた、さまざまな隠れた連関の糸からはじまって、事件の波動として、はるか後年まで刻みつけられたひそかな後遺症的痕跡にいたるまで、事件を包み込む全体。衝突、発泡、殺傷、処罰、流刑など、歴史的な日付をつけた事件の過程だけを追いかけ、事件が進行する現実の平面にのみ密着しすぎた眼にとってみれば、なかなか望見しにくいばかりでなく、ありもしない幻想としか感じられないかもしれないこの全体の見えない映像をうかびあがらせるところに、小説想像がある」(P433)。
鳥羽伏見の戦いの三日後の富の森から筆を起こした第一章大阪から、未完となった第二十一章 『列挙実紀』まで、久留島浩氏と宮崎勝美氏による注がある。1989年中央公論社刊を文庫化した。
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