『銀魚部隊』(1938)の話

読書時間

齋藤昌三『銀魚部隊』書物展望社、1938年

齋藤昌三の本の話を書いたので、もう一冊紹介しておく。『銀魚部隊』(書物展望社、1938年)は齋藤昌三の号である少雨荘第五随筆集である。なお、タイトルは時局に合わせたふりをしているが、銀魚(紙魚)部隊では何ともならない。

「この書はA(1-30)B(31-500)の外家蔵版(501-550)と合せて五百五拾部を刊行す。本書はその第485番」とあるが、再版200部が快速追撃版として、同年(昭和18年)に出ている。時局を馬鹿にした版名である。

Aは当時で拾円、Bは3円である。円本が流行った時代に3円はやや高く、拾円は豪華である。齋藤昌三マニアしか買わない本だったのであろう。『書痴の散歩』(1932年)の1,000部からすれば半減近い刊行数になったが、ファンが許さなかったのか、再版している。

「外装は又かと思はるゝ如きものにした。友仙その他の型紙で、従って一冊毎に異なつてゐるのは勿論だが、見返しは一冊々々表紙貼りの前に、その表紙と同じ型を摺り出したので、それを合わせるのに製本所の苦心は並大抵ではなかった。これだけは、恐らく他では到底出來ぬワザであらう。なお金版を掛けた繪紙の一片や切手の類は、單調の表装に多少の彩を添へたものに過ぎない」(P3)。

版元装釘が一般的な日本において、一冊毎に外装と見返しが異なるとは、全て一点ものということになる。齋藤昌三は究極の本つくりをしてしまった。私の本は型紙に兎と鳥居の繪紙が一片ずつ貼ってある。神保町の田村書店で買った時は、何しろパラフィン紙で包まれているので、気づかなかったのである。

箱については誰も言及していない。

亀甲模様とみるか網目模様とみるかは意見の分かれるところであるが、見返しにパラフィン紙を止めているTAMURAとあるのは田村書店のシール

友禅の型紙ではなく、江戸小紋の型紙であろうか。

パラフィン紙を剥がしてみると、なんとKINOKUNIYAのシールが出てきた。

表紙は見返しと同じ型紙が使われている。

意味不明のシールが表紙に貼られているのはアクセントのつもりか? その上から書名の金版が押されている。うがった見方をすれば、型紙に同じものがあったとしてもシールが異なれば一点ものは確保できる。齋藤昌三は一点ものにこだわったのだ。

流石に、箱のパラフィン紙は剥がさないでおこう。

#齋藤昌三

コメント

タイトルとURLをコピーしました