『書痴の散歩』(1932)を読む

読書時間

齋藤昌三『書痴の散歩』書物展望社、1932年

戦前の本が無いと思っていたのは、私の方だったかも知れない。記憶は嘘をつく。結構出てくるのは昭和思想史研究会で「大正を読む」を読み始めて、課題図書を出来るだけ出版した当時の形式で読み出してからだった。

さて、齋藤昌三が自身のエッセイをまとめた最初の本が『書痴の散歩』であったことは、「門前にて(序に代へて)」に書いてあった。装釘についても晴着ではなく古番傘が似合うとしたのは、既に発表した文章をまとめたということだった。

第五杖まであり、杖の影(少雨荘斷面觀)として五人から見た齋藤昌三が最後に語られていた。

齋藤昌三觀 吉野作造

明治文学研究のターニングポイント 木村毅

彼と我 宇佐美不喚樓

少雨荘主人に就て 柳田泉

好々爺齋藤昌三氏 岩本柯靑

人をして我を語らせるという試みは面白いが、宇佐美不喚樓や岩本柯靑はどういう人かは分からない。

本書の産婆役の岩本柯凊が古番傘の頭紙(ずがみ)を背に用いたものが150冊ばかりあると書いていた。残念ながら所有している本はそうなっていない。いかに装釘を工夫していたが偲ばれる話である。

注)私は齋藤昌三が本文で遣った言葉を用いたが、装幀、装釘、装丁、装訂と4種類の漢字があるなかで、齋藤昌三は装釘と装幀(P111)を遣っているが、『書痴の散歩』ではほぼ装釘が遣われているといってよい。大貫伸樹氏が『装丁探索』(2003年)で「「太陽」(博文館、明治30年)は釘を使って綴じているが、単行本で釘を使って綴じているのは珍しく、まさに「装釘」だ」(P101-102)と書いていたのを思い出す。

#齋藤昌三

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