坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年
書誌情報
本文は序章、終章で挟まれた6章からなり主要参考文献と関連略年表が付い277頁と少し厚い。地図や系図も豊富で、適度にルビが振ってあり安心して読んでいける。それでも登場人物が多いので、名前は読み方を忘れてしまう。
本書の視角は二つだと坂井孝一氏が「はじめに」で書いている。
第一 院政および鎌倉幕府の成立・発展という大きな歴史の流れの中に乱を位置づけること
第二 一般の読者にも理解しやすいよう、現代社会との比較、現代であればどのような事象に相当するかといった点を意識しつつ歴史像を描き出すこと
第二の視角は理解が難しい点である。成功しているかどうかは後ほど分かるであろう。
気になるのは史料の問題である。同時代史料がほとんどないという(iv )。承久の乱の一般的イメージは後世の編纂物により作られたのであるとすれば、それを突き破るのはなかなか大変ではないのか。そういった問題意識を持って、しかも、漫然と海苔ピーを齧りながら読み始めたのであった。
後鳥羽院の新古今集の歌が出てきた(P52)。
思ひ出づる をりたく柴の 夕煙 むせぶも嬉し 忘れ形見に
昔、新井白石の『折たく柴の記』(岩波文庫、1949年)を読んだ時には題名の由来までは考えなかったのが不思議な気がする。
北条義時追討の院宣・官宣旨をいち早く押さえて、後鳥羽院の目的を「倒幕」にすり替えた鎌倉方の対応をみていると危機管理能力の高さを感じる。「チーム鎌倉」vs「後鳥羽ワンマンチーム」という初戦の分析が著者のいう第二の視点であった。
追い詰められた後鳥羽院が延暦寺の僧兵に期待をかけたときの、著者の記述がいい。
「延暦寺の衆徒が祈禱のような宗教的手段ではなく、武力によって都を守護したことはなかった」(P183)。
承久の乱は、「実戦経験の有無、合戦に対するリアリティの有無を加えれば、そのまま乱全体の勝因・敗因になると結論したい」(P209)と著者が総括してたのはもっともな気がした。
#坂井孝一 #承久の乱
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