『城から見た信長』(2015)再読

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千田嘉博、下坂守、河内将芳、土平博『城から見た信長』ナカニシヤ出版、2015年

河内将芳氏は「義昭のために「武家御城」を築いた信長がなぜ、みずからの城を京都に構えなかったのか、その理由をあきらかにしてくれる史料は残されていない」(P93)という。理由として安土城が京都と1日の距離に築かれたことがあげられる。もうひとつの理由は「京都は、信長にとって、城を構えるほど警戒する必要のない場所と認識されていたことも考えられるだろう」(同)。結果的には誤った認識であったが、何故信長はそう認識したのか。足利義輝が二条御所で攻め滅ぼされたのを知ってるので、義昭のために城を築いたのに、自分は寺院を宿舎にして過信があったのだろうか。河内将芳氏は近著『宿所の変遷からみる信長と京都』(淡交社、2018年)のあとがきで「信長が「畿内文化」をとり入れつづけてきた織田弾正忠家で育ったという点」(P160)をあげていた。「京都への遠慮」があったという。「必要最低限以上に京都には滞在しなかったこと」を史料であきらかにしたのである。

#京都 #戦国 #信長 #河内将芳

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