丹生谷哲一『増補 検非違使 中世のけがれと権力』平凡社ライブラリー、2008年
平凡社選書『検非違使』(1986年)に「賀茂祭と検非違使の位置」を加えたもの。
今さら、検非違使や非人を読もうとは思っていなかったが、賀茂祭を論じた論文にある殺し文句に引っかかったのである。
賀茂祭における検非違使の特別な意味?
著者とともに歩くように論文を読むのは瀬田勝哉氏を好む私に合っている。
賀茂祭の祭列に検非違使も入っていて、警護なんかしてないという点で、賀茂祭の祭列を比べている。
治承三年(1179)
安貞元年(1227)
公安六年(1283)
建武二年(1335)
貞和五年(1349)
普通は資料が出てくると、読むのがやになるところだが、これを読ませてしまうところに著者の力量を感じる。
治承三年は先頭の看督長のあとに13人の検非違使が続く、山城使、内蔵使、馬寮使、春宮使(春宮が言仁(後の安徳天皇)である。)、中宮使(中宮は平徳子)、近衛使、末尾は女使であった。平氏全盛ですな。
建武二年も、検非違使の列に左少尉楠朝臣正成を見てニヤリとせざるを得ない。
本題に入る。「賀茂祭が、二十二社奉幣の中の他の諸社祭と異なる特徴は何か、ということである」。
賀茂祭には必ずその先頭に大勢の検非違使の行列が渡っている点が、他の祭礼には見られない賀茂祭の特徴である。
賀茂祭の検非違使祭列の①成立時期②検非違使の範囲について論じている。
検非違使が中世国家において担っていた行刑・行政両面における機能の表徴を丹念に見ていく。行刑的側面から中世検非違使の刑罰権を最も象徴的に示す儀式である「着釱の政(ちゃくだのまつりごと)や「獄門」における断罪儀式を見たあと、行政的側面は記述が細かくまとめにくい。
賀茂祭における「武家検非違使」の歴史的位置を述べてこの論考は終わる。
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