断片記憶

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『行きつけの店』(1999)

「行きつけ」とは山口瞳が食事や旅行の際にみせるスタイルである。何かの縁で入った店が気にいると何度も通うことになり、「なじむ」ことを好む態度である。食事や旅行の都度、違う店や旅館を選ぶことを志向するのとはおよそかけ離れた態度である。人には馴染...
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『坂口安吾』(1972)

奧野健男の『坂口安吾』(文藝春秋、1972年)はこう始まる。「坂口安吾の「堕落論」を読んだとき受けたような鮮烈な衝撃を、ぼくは生涯において二度と読書から受けることはないであろう。それは十九歳のぼくを今まで縛っていた戦争期の倫理や観念やタブー...
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スサノヲの時代

「鎌田東二の霊性の京都学 74 スサノヲの到来展の場所の力」(月刊京都2015年11月号)「スサノヲの到来展」の最後は渋谷の松濤美術館においてであった。鎌田東二氏が「スサノヲと場所の力〜渋谷の地と氷川神社とスサノヲのコスモロジー」と題した講...
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書物を解体するということ

かつて『書物の解体学』(中央公論社、1981年)を吉本隆明が書いたとき、出来の悪い本は振ってみれば良いとした。バラバラとページが落ちてくる(笑)。しかし、書物を読むということ、著者の言説を理解することが知の格闘技だということをビジュアルに理...
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西米良村・村所神楽

神楽を観た。宮崎県西米良村・村所神楽を観たのである。村外の吾妻橋にあるアサヒアートスクエアでである。本番の半分の時間とはいえ十分堪能した。休憩なしに6時間の公演だった。2015年10月4日(日)神神楽の部(13:00 〜 16:30)1 清...
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『文明論之概略』の読み方(はじまり)

古典とは何かということと、古典として読むということに違いはあるのだろうか?丸山真男は福沢諭吉の『文明論之概略』(1875年)を『論語』やプラトンの『国家』と同列に思想的古典として扱かっている(『「文明論之概略」を読む 上』(岩波新書、198...
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『レコードと暮らし』(2015)

田口史人『レコードと暮らし』(夏葉社、2015年)夏葉社の最新刊を善行堂で手に入れたので読んでいる。高円寺「円盤」の店主の田口史人氏がレコードについて書いた冊子等をまとめたものだ。ビールの時代は朝日ソノラマ(1959 〜79)のソノシートが...
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『小説吾妻橋』(1957)

善行堂で永井荷風の短編集を買った。山本店主から日記である『断腸亭日乗』を勧められた。岩波の7巻本だった。Kindle版のを持っていたが、置く場所があれば欲しいくらいお買得な値段だった。全集ものの相場が下がっているという。短編集『小説吾妻橋』...
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昨日の客

不意に現れた男は、ビールを頼んだけで立て掛けたメニーを開こうともしなかった。オススメを書いた紙が灰皿の上に載せてあった。それをチラリと見ていたようだ。相方がビールとお通しを運んでいった。男はお通しを尋ねた。あの気の利かない子は厨房まで聞きに...
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クラウンそうめん

HOLLYさんでクラウンそうめんをいただいたので、ちょっと調べてみることにした。親父さんが非売品で手に入らないと言っていたが、ラベルにはそのような記載がないので少し困惑している様子だったためだ。クラウンそうめんを製造している熊本製粉株式会社...
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『手の間』

MOTTAINAIクラフトあまたで買った『手の間 13号』の特集 washoku 21世紀の基本食を読む。「料理する人は、土や農業について知らなければいけません」「ひとつの料理を知るのに、私は10年かかると思っています。」(檜山民子)割烹の...
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『世界の夜はぼくのもの』(1961)

富田英三『世界の夜はぼくのもの』(第二書房、1961年)漫画家の富田英三(1906 - 82)が世界一周旅行する話だ。旅行当時の世界をスケッチした漫画が入っている。本書の2部構成からなる。Ⅰ世界の裏窓よ こんにちはⅡ世界の夜はぼくのものⅠ ...
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「花木真写」の講座

今橋理子氏の講座を聴きたいと思う。東京都公園協会 緑と水の市民カレッジ講座【27前期】No.21 江戸時代博物学の創造力-近衛家熈「花木真写」の芸術世界-2015年9月12日(土)13:00 〜 15:00緑と水の市民カレッジ講習室(日比谷...
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『植物画の至宝 花木真冩』(2005)

監修・執筆 源豊宗、北村四郎、解説 今橋理子『植物画の至宝 花木真冩』淡交社、2005年陽明文庫に伝来する近衛豫楽院(近衞家熈(いえひろ) 1667年-1736年)の三巻本がもとになっている。日本のボタニカルアートの嚆矢といえる(名和修)。...
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花と生きる

散歩の帰りに花を買う。