かつて『書物の解体学』(中央公論社、1981年)を吉本隆明が書いたとき、出来の悪い本は振ってみれば良いとした。バラバラとページが落ちてくる(笑)。しかし、書物を読むということ、著者の言説を理解することが知の格闘技だということをビジュアルに理解した週末の研究会であった。
子安宣邦先生は津田左右吉の『神代史の研究』(岩波書店、1924年)を読むために、本を本当に解体して4分冊にして1日に1冊づつ読んだという。持ってきた分冊を見て私は衝撃を受けた。柄谷行人氏の本も解体したという。
私は、『神代史の研究』の重さにヘキヘキした。内容も同様である。しかし、本の装丁を剥ぐことはできそうもない。自炊することができずに本に埋もれた生活を続けている。まあ、かつてのフランスのように本は仮綴であり、後から皮で製本していた世界もあったわけだが、完成品に手を入れるのは躊躇する。
本を読むスタイルについて考えさせられた週末だった。
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