『モーツァルト・無常ということ』(1961)を読む(その2)

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小林秀雄『モーツァルト・無常ということ』新潮文庫、1961年、2025年96刷

「実朝」を読む。

小林秀雄の『吾妻鏡』の読み方がよかった。史家でなく文学者の読み方である。『吾妻鏡』の潤色がかえって真実を伝えているというのだ。

承久元年正月廿七日の実朝暗殺の日に詠じたとされる和歌は出来過ぎな歌ではあった。

出テイナハ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ

「今日の死を予知した天才歌人の詠には似つかぬ月並みな歌とは言え、ともかくも一首の和歌さえ、何故、案出しなければならなかったか。そういう考え方も、勿論、出来るわけだろう」p.112)と小林秀雄は言う。実朝の歌ではないと言っているが、歌に込められた心情は本当だと言っている。

「「吾妻鏡」の編纂者達の、実朝の横死に禁忌の歌を手向けんとした心根を思ってみる方が自然であり、又、この歌の裏に、幕府問注所の役人達の無量の想いを想像してみるのは更に興味あることである」(同上)。

『吾妻鏡』に実朝の歌があることを忘れていたのである。吉川弘文館の『現代語訳 吾妻鏡』シリーズを読んだのはいつだったか。亡父がノートに抜書きしていたことを思い出す。

建保元年ハ月十八日の文章は小林秀雄が好きと言っているが、『吾妻鏡』を書き下しで読みたくなる。「実朝の心事なぞには凡そ無関心なこの素朴な文章が、何んと実朝の心について沢山な事を語ってくれるだろう」(p.117)。現代語訳では味わえないし、兼好の語り口で読んでも無理そうだ。

小林秀雄は『吾妻鏡』の陰惨な事件の続くなかに、実朝の歌を配置してみることで、実朝の悲しみを深く感じるのである。

「それにしても、歌には歌の独立した姿というものがある筈だ」(p.120)。

小林秀雄の切れ味を味わえるところだ。

『モーツァルト・無常ということ』

『モーツァルト・無常ということ』(1961)

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