谷沢永一の『本はこうして選ぶ買う』(2004)を再読する(その1)

読書時間

この間の図書整理で出てきた『書物耽溺』の威力は凄くて、一月で10万円も処置の難しい古書を買ってしまった。本棚に入らない大きさだったり、文庫サイズだったりするので、もう一段の図書整理が必要だ。文庫本専用の本棚を事務所と同様に導入することを関係者に相談している。

というわけで、谷沢永一氏の『本はこうして選ぶ買う』(東洋経済新報社、2004年)を読み直す。

本を選ぶ買うには「勘」が大事だという。誰もそんなこと言ってくれない。「勘」を身につけてから新刊書店へ入れという。相撲と同じ仕切りが大切なので、ぶらりと新刊書店へ入ってもいけない。何事にも準備がいる。

次に、古本屋とのつき合いは実に難しい。このあたりは9 古本屋と昵懇になる法に著者の古書屋歴が書かれている。読んだ気がする話が多いのは、再読ということもあるが、著者が古本屋のことをよく書いてあるからであろう。

この本は読書論ではなく、著者が独学で見つけた本の選び方であるし、そもそも読書の習慣化がビジネスの成功を約束していないという立場で書かれているので、自分にとって楽しい本は自身で選びとるものであろう。

著者が「対照」というキーワードを使っている。本には相反することが書かれているものがあるという認識から出発する。どんな著者の話でも鵜呑みにしてはならない。

以下の2冊は対照的な本である。対照的な本を読んで、それに枝葉をつけて本の当たりを付けるやり方を著者は紹介している。反対のことが書かれていることを知るには今ならインターネットによることも可能だが、世の中は対立だらけであると「勘」を働かせて、参考になったものも参考にならなかったものも次の本の選択に生かすことができる。

梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書、1969

渡部昇一『知的生活の方法』講談社現代新書、1976

自分はどっちをとってきたか。

梅棹流のカードを書く方法、渡部流の本に書き込みする方法。

何か両方をしてきたようで、どっちつかずである。これでは、知的生産もできず、知的生活もみについていないわけだ。人生の残り時間を考えれば、本だけが知的生活ではあるまい。墨の匂いを嗅いだり、ゆったりと本を愉しむことで、読んだ内容から面白いと思ったことを書き留めておくのがせいぜいであろう。

注)

kindle版が2013年に出たので、カテゴリは「読書時間」でいいか。掲載時の再読のカテゴリは「古書空間」というのも難しい。新刊本として購入したものも時間が経って入手困難になった時点で、レビューサイクルが回れば、「古書空間」に分類される。

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