『漢字』(1970)を読み返す

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白川静『漢字 ー生い立ちとその背景』岩波新書、1970年、2008年第31刷

白川静の『漢字』(1970年)を読み返す。

鴟夷と鴟夷子皮

呉越春秋でお馴染みの、伍子胥(ごししょ)は「讒言のために殺されて鴟夷の皮袋に包まれ、江波の間に投げ棄てられた」(P94)。一方の范蠡(はんれい)は「みずからの名を鴟夷子皮(しいしひ)と改めて、亡命している」(P94)。

「二人とも鴟夷とゆかりをもつことは、奇縁というべきであろう。鴟夷は、馬皮で作った皮袋であるという。人を包みこむことこできる皮袋であるから、大きなものにちがいない。『墨子』の非儒篇によると、孔子が斉の景公に用いられなかったことをいかって、鴟夷の皮を、当時斉の実力者であった田常の門にかてかけたという話がみえる」(P94)。

迂闊だった。白川静は以下の問いを投げかけていた。新書はいかに読者の好奇心を引き起こすかが大切なのである。

「これらの鴟夷が何を意味しているのか、これを水中になげるのはなぜか。亡命者范蠡がなぜ鴟夷子皮というような、刑余者を投棄する不吉な皮袋の名を用いているのか」(P94)。

白川静は第4章 「秩序の原理」で古代の裁判の方法をしらべることから始める。古代神判では解薦(かいたい)を使うことが述べられている。「種々の神判のうち、羊神判が最も正統的なものであった」(P96)。「神羊は羊ではなく、解薦とよばれる神獣である」(P96)。「神判に敗れたものが、その解薦とともに、潮路はるかに流し棄てられるのに対して、勝訴者の解薦には、そのよろこびをしるすために、人が文身を加えるときと同じように、その胸には心字形のしるしが加えられた。それが慶である」(P98)。

こうして白川静は伍子胥や范蠡の鴟夷の使われ方について解釈する。この辺りは書いてあるのを読むことで分かるが、漢字が見つからないので、引用は諦めた。ちゃんとした日本語変換アプリが欲しくなる。

鴟夷についても説があるというのを『漢字の世界2』に書いてあったのでメモしておく。

「子胥の屍は鴟夷に包んで江中に投げられたというが、鴟夷がどういうものであるのかよく知られない。『史記集解(しっかい)』に引く応劭(おうしよう)の注によると、それは馬の皮で作った酒器の袋であるという。また牛皮であるという説もある」(P52『漢字の世界2』)としながら、神判に用いて敗れた解薦を皮袋につめて汚穢として流棄する俗があったと考えているだ。

そして、肝心の孔子の話については、『漢字の世界2』に載っていた。自己投棄であるという。

「鴟夷については、なお孔子に関する説話がある。『墨子』の「非儒」篇に、孔子が斉に亡命して景公に用いられることを望んだが、晏子の反対によって果たされなかった。景公と晏子に怨みを抱いた孔子は、鴟夷子皮を田常の門に樹てて去ったという。この鴟夷子皮を、『墨子』の注釈者はおおむね范蠡のことと解しているが、范蠡が斉に赴いたのは孔子の没後六年のことであり、時期が合わない。孔子のこの行為は、斉を棄てて去ることを、田常に告げるものであったと解してよい。田常は斉に亡命中の孔子の庇護者であったのである。孔子はまもなく魯に帰っているが、これもまた訣別を示す自己投棄の形式であった」(P53、『漢字の世界2』)。

白川静『漢字の世界2 中国文化の原点』平凡社、1976年、1997年第14刷

どうして、『漢字の世界2』から「鴟夷」を引用できたのか、それは検字表と事項索引が完備されているからである。

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