塚本邦雄『西行百首』講談社文芸文庫、2011年
書誌情報
島内景二氏の解説を読むと、平成5年1月から25回にわたって雑誌『歌壇』に連載されたが単行本とはならなかったという。正字正仮名であり、難読漢字には、最小限でルビを加え、引用のケアレス・ミスを訂正したという。この解説も読み応えがあった。
解説
「邦雄の西行嫌いは夙に有名だが、好きでもない歌人の和歌を百首も評釈することなど不可能である」(P291)。
言われてみればその通りである。塚本邦雄の百首アンソロジーは定家、茂吉と西行だけである。茂吉は5冊ある。西行が好敵手でなければ、百首をあげて斬り結ぶことはしないだろう。
「定家も西行も茂吉もすべて、現代歌壇において孤独な邦雄が、過去の時代に見出したドッペルゲンガーだった。そして彼らは、全員が挫折した天才だった。もう一歩のところで掴み取れる「真の歌」が見えているのに、手が届かないもどかしさ。邦雄は、とりわけ厳しく裁断することによって、西行の歌を曜変ならぬ「神變」させた。そして、そこに自らの歌の究極の姿を透視していた。今、私はようやく西行に対する邦雄の真意が読み解けたような気がしている」(P295)。
島内景二氏の絶唱であろう。評釈という行為が創作に及んでいることが、見事に表現されている。これ以上の批評はあるまい。
塚本邦雄の評釈
願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ 『御裳濯河歌合』
この有名な歌を取り上げることから塚本邦雄の評釈は始まる。
「紛々たる俗氣に、俊成は眉を顰めてゐるのだ」
「衒氣がちらつき、いかにも臭い」
「最も頻りに陳情のあるのは、歌合判者の依頼である」
塚本邦雄の評釈を読むと、激しく俗氣と臭気を嫌っている。その嗅ぎ分ける能力には驚嘆する。1回の掲載で4首を取り上げるのはよいペースだろう。それ以上続けて読むのはこちらの精神も休まらない。結局、百首、正しくは重複があり「西行九十七首」である。重複した歌をメモしておく。
闇晴れて心の空に澄む月は西の山邊や近くなるらむ (3回)
谷の間にひとりぞ松も立てりける我のみ友はなきかと思へば (2回)
『山家集』を久保田淳氏で読み直し始めて、自分が後藤重郎氏の校注の『山家集』からとるべき歌に印を付けようとしていたことを思い出した。塚本邦雄も『拾遺愚草』を読んで、自分で選ぶことを勧めていたのだった。しかし、定家の歌が余りにもつまらない歌ばかりだったので、途中で投げ出していた。危うく『西行百首』を読み進めるところだった。塚本邦雄の毒舌を浴びれば選べなくなるのである。
注)
2018/10/16 『山家集』(1982)
2019/05/13 『山家集 古典を読む6』(1983)
#文学 #西行 #塚本邦雄
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