『和文英訳十二講』(1954)

Goinkyodo通信 読書時間

篠田錦策、佐々木髙政『和文英訳十二講』洛陽社、1954年、1968年改訂版、2009年改訂版

佐々木髙政の本を読んでは忘れて、買ったことも忘れた。
ソフトカバーでカバンに入れても楽なので、『考える英文法』を読み終えたら、次の候補にと考えている。

最後にある「英文和訳における目標」を読んでから十二講を読めとある(はしがき)。

「原文の語句の表面に捉われずに,意味の核心をつかんでそれを表すには,熟知している易しい英語を用い,最も簡単な文章形式に組み立てて行くこと」(P239)。

フレイザルバーブは暗記するよりない。

長い込み入った文章は短くやさしい数個の文に分解し,書きにくい部分は,あるいは視点を移動し,あるいは叙述の順序を変更し,多少説明的になってもいいからその意味だけを写す」(同上)。

英語翻案ということだろう。

「どうしてもある部分が書けないと悟ったら,コジツけて変テコなぶちこわしをやるよりもアッサリあきらめて,兎に角書き上げた部分だけを生かす」(同上)。

「いやしくも和文英訳の修業を志す人々は,こうして出来上がった訳文を保存しておいて,後になってから抜かした所を補うことは勿論,その他の場所に手を加える,すなわち推敲することを常に心掛けるとよい.」(同上)。

訳文を保存しておき、常に推敲する姿勢を学ぶ。

やはり、常に考えることだ。Evernoteに保存していたらと考えると今まで使い捨て過ぎたのかも知れない。仕事だったのでPCを返却して全ては終わった。実践知は実力そのもので辞書だけあれば十分と考えていたこともある。英文和訳の方は協会の仕事がまだ続いていて、対訳は常に見直される環境にある。膨大な紙は使い捨てられてきた。今はコロナでファイルになっているので、参照可能であるが、効率的ではないと思っている。

結びに「動作表現及び状態表現」が「言い換え」の助けになると書いてあった(P240)。これは日本人の発想と英語を話す人の発想の違いでもある。英語の状態表現の研究をする必要がある。

さて、和文英訳である。それも修業を志すのでなければ本書を手に取る必要はない。翻訳ソフトを長年使ってきたので、機械翻訳の間違いには慣れているので、実務上は特に問題はない。自分の経験した特異なことは自分でしか英語、フランス語に書けない気がしている。

経験を言葉にしておきたいのでブログに書き留めているが、英語で書くには修業を積まなければいけないレベルである。推敲を重ねるためにも記録しておく必要がある。

本書は索引が日本語なので、英作文を意識した作りであると思う。索引だけコピーした冊子を用意して英作文を書くためのレファレンスの速度を上げる工夫をしてみようと思う。よく参照する本をそれぞれ捲るより、索引をデジタル化して検索した方が速いことは経験上明らかである。以前はカードを作ったが、スマホの時代に相応しいやり方はあると思う。取り敢えずは索引だけの冊子作りを週末にやってみたい。全集の別巻の総合索引のイメージである。事項索引の有り難さは全文検索をしてみてノイズの多さに呆れる経験すればよくわかる。

#語学 #英語 #佐々木髙政

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