『征夷大将軍・護良親王』(2017)

読書時間

亀田俊和『征夷大将軍・護良親王』戎光祥出版、2017年

大塔宮護良親王は名前くらいであまり知られていない。活動時期も短いし、南朝側なので史料も少ない。どう扱うかと思っていたが、議論を併記したり、亀田先生自身の見解を出したりして分かりやすく読ませてくれる。遺跡の写真も多く載せているので、紀行を読んでる気分になる。吉野山もこの本があればもっと史跡巡りできたかも知れない。千本桜を懐かしく思い出した。今年の桜はどうなのだろうか。

第1部 倒幕の急先鋒

第1章 天台座主・尊雲法親王

亀田先生の本も5冊目となる。大塔宮護良親王を扱った本はなかなかに珍しい。大塔宮護良親王はその出自にも謎がある。まず、母親がはっきり確定しない。親王なのにそんなことあるのかと思ったが、亀田先生もはっきりさせられないという。名前の読み方は「もりよし」に落ち着いている。皇位継承の対象外のようで、出家させられてしまう。

護良親王が梶井門跡(今の三千院の前身)に入ることで尊雲法親王となり、後に天台座主となるが、3カ月と長続きしない。文より武だったという。

大塔宮の謂れは少し納得がいかないが、以下のようである。梶井門跡は場所を転々と移したが、護良親王が入室した当時は法勝寺の付近に位置していた。法勝寺に八角九重塔があったことから、大塔宮(おうとのみや)といわれたという。

法勝寺の跡地である京都市動物園で行われた発掘調査の現地説明会に雨の日に行ったことを思い出す。八角九重塔の基壇の一部が示されていたが、土の色が変わっていることくらいしか分からなかった。九という文字がある瓦が展示されていた。瓦葺だった可能性があると説明員の話を覚えている。

第2章 決死の倒幕ゲリラ線

父の後醍醐天皇とともに倒幕運動を起こし、後醍醐天皇が隠岐へ流されている間も令旨を発行したりゲリラ戦を展開する。この時が華でした。

以前に吉野山に行った時、村上義光の碑があった。大塔宮護良親王の身代わりとなり切腹したという。

第2部 護良の戦い、興良の戦い

第1章 足利尊氏との死闘

建武の新政では、後醍醐天皇からは再度出家を命ぜられるが従わない。征夷大将軍に任ぜられるが、後醍醐天皇に取り立てられた足利尊氏に嫉妬して、失脚し、鎌倉へ幽閉されているうちに、中先代の乱のどさくさで足利直義に殺されてしまう。

第2章 護良の遺児・興良親王

子の興良親王の名前は「おきよし」と読む。大塔若宮と称されたが、南朝のなかで居場所がない。興良親王は南朝の拠点の賀名生を破壊するなど、南朝の反主流派とされ、抗争のなか行方知れずとなって終わる。

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