『平田篤胤』(その2)

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吉田麻子『平田篤胤』平凡社新書、2016年

著者は第5章を読むことを勧めている。「おそらくこの章に一番のエッセンスがあると思う」(P11)。第五章が重要なことは分かったので、本書の構成をまず見ておこう。

第一章 『鬼神新論』(文化2年・1805年)は秋田藩士大和田清兵衛の四男とし生まれた平田篤胤が江戸に出て、「真菅乃屋(ますげのや)」という私塾開いてすぐの著述である。儒家の「「鬼神論」とは、たとえば「鬼神とは何か」「鬼神は存在するのか否か」「鬼神の祭祀はどうあるべきか」といったことについて」の議論である。

『鬼神新論』は「日本の神こそが、儒教でいうところの「鬼神」であること、そしてその「鬼神」であるところの日本の神は、間違いなくこの世に実在し、今なお世界を包み込んでいる、ということをはっきりと主張しょうとしたのであった」。

第二章 『霊能真柱(たまのみはしら)』(文化9年・1812年)は生涯の主著となる。『霊能真柱』が論じているテーマの一つは「世界の創世記と日本の誕生」、もう一つは「死後の霊魂のゆくえについて」である。

第三章 宮内嘉長と石上仁兵衛が記した平田篤胤来訪記録『天石笛之記』で、銚子での平田篤胤の講義が分かる。

第四章 気吹舎のテキストである『毎朝神拝詞記』と解説書である『玉襷』で、神拝み を唱える方法や意味について説明している。

第五章 平田篤胤の主著『古史伝』を本居宣長の『古事記伝』との対比で語られる。「天の岩戸」のエピソードでの天宇受売命の役割は読み応えがあった。

第六章 『仙境異聞』は天狗の世界に行ったことがあると語る寅吉少年の発言を記録したのでものである。

第七章 『古史伝』や『玉襷』から平田篤胤の倫理思想を探る。

第八章 『玉襷』の出版を躊躇した理由が語られ、『大扶桑国考』に反乱者となった生田万の跋文があったことで、吟味の対象となり、著述の出版禁止と秋田への退去命令がでた平田篤胤の晩年が描かれる。

『平田篤胤』(2016)

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