『いろはうた 日本語史へのいさない』(2009)その2

読書時間

小松英雄『いろはうた 日本語史へのいざない』講談社学術文庫、2009年、2014年第3刷

目次をメモしておきます。

第一章 以呂波の輪郭

第二章 以呂波の古い姿

第三章 大為尓をめぐる諸問題

第四章 源順と阿女都千

第五章 誦文の成立事情

第六章 『色葉字類抄』の成立

第七章 『下官集』と藤原定家

第八章 『仮名文字遣』以後ーー以呂波仮名づかいの消長

第一章 以呂波が辿ってきた歴史が概観されます。

第二章 『金光明最勝王経音義』に最古の以呂波が記されていることが紹介されています。漢字の読むための旋律を表していたことが明らかにされます。

第三章は源為憲の『口遊(くちずさみ)』のなかの一つの誦文(大為尓で始まるので、「大為尓(たゐに)」と呼んでいます。四十六文字で「於(お)」を加えれば以呂波と同じ四十七文字になりますが、以呂波とは違った配列の歌でした。

第四章 源順と阿女都千

源順(みなもとのしたごう)の『源順集』の「あめつちの歌、四十八首」が分析の対象になります。才人と言われただけにことば遊びに長けています。

「藤原有忠という人物がいて、「あめつち」の四十八文字を、それぞれ和歌のはじめに置いたものを作ってよこしたが、自分は、和歌のはじめだけでなく、その最後にもそれと同じ文字を置き、しかも四十八首の和歌を四季に分けて作ったというのである」(P128)。

「有忠の作った四十八首は残されていないので、具体的にどういうものであったかわからないが、だれにでも作れるというものなら、わざわざ源順のところにそれをよこしたはずはないから、和歌としての巧拙とは別に、これを作るには、ことばづかいのうえで特別の工夫を必要とするところがあったと考えなければならない」(P133-134)。

「和歌の用語は原則として和語に限られる。ところが、和語にはラ行音節ではじまることばがない。それをなんとか上手に処理しなければ、この企てを放棄しなければならない」(P134)。

源順は『和名類聚抄』という百科事典を作った人ですから、知識は豊富だったと考えられます。当時は『和語辞典』のようなものがないので、ことば遊びが成立ちました。SCRABBLEなどのゲームは辞書を引かずにするから面白いわけです。『古今和歌集』でも「物名」という部立てがあるわけです。

小松英雄氏は「阿女都千」を音韻から分析してますが、そして、そのことが本論なのですが、それを書くと本そのものになるので、背景だけをメモしておくだけにしました。パズルは解いてみようとしなければ面白さが分かりません。

第四章と第五章で考察された内容は結果として大矢透の結論と一致します。しかし、論理の筋道から辿る小松英雄氏のやり方は味わうべきものです。

第六章から第八章では仮名づかいの問題に関して、発音と表記の対応関係の乱れについて検討しています。

第六章は橘忠兼が編纂した『色葉字類抄』という字書のお話です。以呂波四十七文字で語頭音節の順に四十七篇に区分し、下位分類を「天象、地儀、植物、動物、人倫、人体、人事、飲食、雑物、光彩、方角、員数、辞字、重点、畳字、諸社、諸寺、国郡、官職、姓氏、名字」の二十一の部立てにしています。現代からみると、下位分類も四十七文字にした方が字書が引きやすいと考えられますが、発音引きの字書を作るに際し、音節と仮名の関係が規範的でなかった当時の事情を考えると無理ということでした。

第七章は『下官集』です。藤原定家の作という伝えがあります。「草子」を書写するうえでの実際的な心得を集めた作法書だと言います。

重要なのは、大野晋が「『下官集』に示された仮名づかいを、定家の自筆本、ないし自筆本に準じて取り扱うことのできる模写本などの用字とつき合わせ、わずかの例外を除いて、それらがほとんどそのままに一致していることを確かめた。そしてまた「を」と「お」との書き分けに限っては、平仮名の「草子」に見える表記を採用したのではなく、その当時のアクセントに基づいた区分であることを立証した(「仮名遣の起源について」)」(P252)ことでした。小松英雄氏は『下官集』を定家の作として論を進めています。

『下官集』を読み解く小松英雄氏の考え方はそう分かりやすくはありません。注意が必要です。

第八章は以呂波のその後が語られます。

行阿の『仮名文字遣』では定家の実用主義(P300)がまったく理解されていないのですが、正書法の規範(P306)として使われてきました。契沖が『和字正濫抄』で古代の用字を明らかにして、後に明治政府が歴史的仮名遣いとして採用しましたが、口語との乖離があり、GHQの指示により「現代仮名づかい」に改められたのでした。

「現代仮名づかい」への批判はここでは省かれています。

さて、解説は石川九楊氏です。小松英雄の日本語学の方法と「書」からみた日本語の歴史を簡潔に記した最後に、「小松のこの作品『いろはうた』は、女手の成立精製とともに、日本語の音韻までもが変化していったさまを刻明に描き出してもいるのである」(P342)と付け加えています。

#小松英雄

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